§1 どのように"解決された"のかー外交保護権放棄と国内措置
第二次世界大戦によって生じた諸問題を日本が連合国との間で解決するために、1951年にサンフランシスコ平和条約が締結されました。
同条約第4条(a) 項は、同条約に基づいて日本が領土放棄した地域について、日本国・日本国民と地域の施政当局・その住民の間の財産・請求権の処理を日本国と施政当局との間の主題とすることとしています。
この規定に従って、日韓会談が行われ、1965年6月22日に締結、同年12月18日に発効したのが日韓請求権協定、すなわち「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(略称 韓国との請求権・経済協力協定)」です。
日韓請求権協定は、第2条1項で次のように述べています。
つまり、日韓請求権協定第2条は、日韓両国とその国民(自然人・法人)の財産・権利・利益、そして両国とその国民の間の請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決された」というのです。この協定で、何がどのように解決されたというのでしょうか?
1.何が解決されたのか
この節(§1)では、どのように解決されたのかを中心に述べたいので、ここでは「何が解決されたのか」については概要のみとして、詳しくは §5 以降に譲ります。
日韓請求権協定第2条2と3には、次のように書かれています。
(1) 第2条2(a)の意味は、具体的には1947年8月15日を起点として1年以上日本に居住する在日韓国人の財産・権利をこの協定の対象にせず、存続するというものです*。
1947年8月15日という日付は日韓会談の妥協で決められたものですが、日本敗戦後、韓国人の韓国への引上揚げが約2年間続いて概終了し、外国人登録令によって引き続き日本に滞在する台湾・朝鮮出身者が外国人と看做されて登録が始まった時期に当たります。
第2条2(b)は、日本敗戦後に通常の取引で得られた財産・権利は協定の対象にしないというものです。
注* ①「日韓請求権並びに経済協力協定,合意議事録(1)」2(c)で "「居住した」とは、同条2(a) に掲げる期間内のいずれかの時までその国に引き続き一年以上在住したことをいうことが了解された" としています。
② 第2条2(a)に「他方の締約国に居住したことがあるもの」の請求権が含まれていないのは、特定の範囲の実体的権利を存続させるという第2項の趣旨から、クレイム(請求)を提起する地位としての請求権には言及しなかったからと考えられます(福田博「請求権条項」,『法律時報』1965年9月(第37巻10号,18-23頁),81頁)。
③ 在日韓国人の財産、権利及び利益については協定対象外にもかかわらず、第2条2(a)に請求権が含まれていないことから、日本政府は請求権が協定に含まれており在日韓国人の請求権も韓国の外交保護権が放棄されたので解決したとしています。一方、韓国政府は在日韓国人の請求権を協定対象外とし、在日韓国人は戦傷者の障害年金などの補償を両国のどちらからも受けられない状態となりました(山本晴太他『徴用工裁判と日韓請求権協定』107-108頁)。
(2) 第2条3の意味は、例えば韓国人の場合は、
① 韓国とその国民の財産・権利で協定署名の日に日本国の管轄下にあるものに対する日本の措置と、
② 韓国とその国民の日本国と日本国民に対する請求権が、協定署名の日以前の事由で生じたものについては「いかなる主張もすることができない」というものです。
日韓請求権協定第2条に基づき、日本では韓国人の権利を消滅させるための措置法「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」が1956年12月17日に制定されました。
当然のことですが、協定が規定しない自国民の権利を消滅させる措置法は制定されていません。
ネット上では、あたかも条約が直ちに裁判所の規範となるかのような議論があります。しかし、国民個人の権利義務に直接関わる条項を国内における裁判規範とするためには、次の判例にみるように「裁判規範として執行可能な体裁を有している」のでなければ国内の立法措置による具体化が必要です。
(3) 日本人の場合、韓国と日本を入れ替えれて読み直します。もっとも、日本人の在韓資産は在朝鮮米軍政庁*の「軍政法令第33号」(1945年12月6日公布)によって同庁に帰属所有された後に、1948年9月締結の「米財政及び財産に関する最初の協定」第5条によって韓国政府に「委譲」され**、日本人の財産は既に韓国の管轄下にはほとんど存在しなかったと思われます。
ただし、付属文書「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との問の協定についての合意された議事録」(合意議事録(1))によれば、次のように、韓国による日本漁船拿捕から生じた対韓請求権が協定2条に含まれ、「大韓民国政府に対して主張しえない」としています。
注* 在朝鮮米軍政庁 1945年9月9日に朝鮮総督・阿部信行が降伏文書に署名、南朝鮮の行政権が在朝鮮米陸軍司令部軍政庁(在朝鮮米軍政庁)に移管され、1948年9月13日に米軍は行政権を韓国政府に移譲、米軍政所有の一切の財産が韓国政府に移譲されました。
注** 私人の財産まで戦勝国が没収したことは国際法を超えた措置で、問題があったと考えられます(杉山茂雄「請求権・経済協力協定の諸問題」,『法律時報』1965年9月(第37巻10号,18-23頁),19頁)。日本政府は「委譲」された日本人の在韓資産は本来は返還されるべきもので韓国に対する請求権が存在するとしましたが、1957年の「日韓全面会談再開に関する共同発表」で米軍の解釈を受け入れて対韓請求権の主張を撤回することを明らかにしました。日本人の在韓資産の財産権滅失の法的根拠は協定第2条ということになると考えられます。
2. どのように解決されたのか
国際法学者・杉山茂雄(当時、法政大学・早稲田大学講師)は、協定締結まもない頃、第2条1について次のように述べています。
杉山は「最終的に解決された」という意味は明白でないが、協定第2条3の規定が実質的に重要で、そこに財産・請求権問題がどのような条件で終止符を打ったのか書かれているとしています。
3. 外交保護権の放棄と国内措置
日韓請求権協定第2条3で、日韓双方のこの協定署名の日に相手国の管轄内にあるものに対してとられた措置または同日以前に相手国またはその国民に対して発生していた請求権については、双方ともいかなる主張もしない、としている意味は、具体的に次のようなことだと杉山は言います。
つまり、協定によっては、私人の財産・請求権は直ちに消滅しない。しかし、韓国人の財産・請求権は日本の国内法上の措置を通して消滅することができ、それに対して韓国側は外交保護を行なえない、すなわち、韓国民の権利消滅に対し韓国は日本国に異議を言うことができないというのが協定第2条3の意味だと杉山は言います。
4. 請求権と国内措置
しかし、協定第2条3は、
① 財産、権利及び利益で協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置と
② 一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権で協定署名の日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができない
としています。
この条文に沿えば、
①の 財産、権利及び利益については国内的措置によって滅失させることができ、これに対していかなる主張もすることができない、
②の請求権については国内措置がなくてもいかなる主張もすることができない
ということになりますので、杉山がいうように「日本の国内措置によってその請求権が抹殺される」必要はありません。しかし、(合意議事録(1)、2(e))には、次のように記されています。
この合意議事録に従って解釈すれば、杉山が言うように韓国人の財産、権利及び利益のみならず、請求権も協定によって直ちに消滅するのではなく、日本の国内措置によってはじめて「抹殺」されることになります。
外務省条約局で日韓会談の担当官をした福田博は、次のように述べています。
福田は「国内措置」という語使っていませんが、やはり、請求権は「相手国により処理、消滅せしめうるもの」としています。
ここでは、韓国人の財産・請求権に対する日本国の措置について述べましたが、日本人の財産・請求権に対する韓国の措置についても同様です。
つまり、協定は、日韓両国が自国民の財産・請求権について相手国に自国の外交保護権の放棄を約したもので、相手国の国民の財産・請求権を国内措置で消滅させるフリーハンドを持つことを約したものと言えます。
戦後補償に関わる日本国内の請求権訴訟において、
① 日本政府は2000年頃まで、「財産,権利または利益」と「請求権」の区別をし(限定説)、請求権については措置をする法がないので個人の請求権は協定で直ちに消滅はしないとしていました。そして、消滅時効や除斥期間などを主張しました。
② 一方、日本の裁判所は、消滅時効や除斥期間、「国民受忍論」で原告請求を棄却する外、請求権が後日の裁判等の手続きで実体的な「財産、権利及び利益」と認められるものは措置法によって権利が失われるとして「財産,権利または利益」と「請求権」の区別をしていませんでした(非限定説)。
結局、限定説あるいは非限定説のどちらにせよ、福田が言うように国民の財産権・請求権は「相手国により処理、消滅せしめうるもの」ということになります。
(2024.5.5に引用の箇所まで追加)
なお、(合意議事録(1)、2(e))では、やはり請求権も国内措置によって処理される(非限定説)ことを確認したものと考えられます。一般に条約は国内に直接執行できなことが多く、とりわけ私人(個人)の法律関係では、次のように国内措置によって執行可能な国内法を制定する必要があるからです。
その後、日本政府と裁判所は解釈を変えて、国民は請求権について「いかなる主張もすることができない」と条文に書かれているので、請求はできないと国際法の直接適用をしようとしています。しかし、「いかなる主張もすることができない」という文言については、日韓協定の締結当事者間で特別の意味を与えていたと考えられるので、この文言の意味については次節( §2 )で検討します。
追記:
1991年の柳井俊二(当時・外務省条約局長)の答弁に関連して、2018年11月20日に安倍晋三(当時・内閣総理大臣)は次のように答弁しています。
(2024.4.30 以下の部分を改訂しました。)
請求権も協定第2条3規定の「協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置」によって「一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅」するというのであれば、2018年においても日本政府は、請求権は「相手国により処理、消滅せしめうるもの」としていたことになります。
しかし、「他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置により」という文言を、協定の「規定がそれぞれの締約国内で適用されることにより」に代えることで、国内措置によらなくても、請求権が行使できないとしたと考えられます。
つまり、「政府の見解は、一貫したもの」とは言えず、むしろ条約の解釈変更がこの時点で明確に表明されたと言えるでしょう。
5. 外交保護権とは何か
杉山は協定第2条3の文言から、日韓請求権協定は「両国が、自国民の財産・請求権について相手国に外交保護権の放棄を約したもの」と読み取ります。そのように読み取るべき理由は解説されていませんが、確かに協定締結当時、1956年11月5日の衆院日韓特別委員会で、椎名悦三郎外務大臣が次のように、政府の考え方は「外交保護権だけの放棄」だとしていました。
日韓請求権協定の条文にはない外交保護権という語がでてきます。
外交保護権とは、国家が国家に対して外交的保護(diplomatic protection)を発動する権利で、外交的保護権(right of diplomatic protection)とも呼ばれます。
筒井若水編『国際法辞典』では、外交保護権を次のように説明しています。
そして、外交的保護を発動するためには次の要件があるとしています。ただし、関係国の合意で要件を緩和することが可能ともしています。
ここで、狭義には「自国民が他国によって違法な侵害を受けた場合」とあるように、自国民の被害が「他国」の責任に帰する違法による場合で、具体的には、一般に、国家(state)や公務員(officials)によって違法な侵害を受けた場合ということになります (Biswanath Sen, "A Diplomat's Handbook of International Law and Practice", Hugue, Martinus Nijhoff, 1965, pp.280-281
)。「他国」で適正な裁判が受けられない場合や、裁判拒否された場合も含まれると考えられます。
また、「広義には自国民が他国に対して請求権をもつ場合」にも外交的保護の対象になるとしています。つまり、自国民の請求権について外交保護権を放棄することで国民の請求権を外交的に放棄することになります。
6. 外交的保護――国民の代理ではない
ここまでの説明では、外交保護権によって国家が私人である自国民被害者の代理人として相手国と交渉し、その結果結ばれた条約・協定は、民事紛争で弁護士が代理人として間に入って裁判所で作成された和解調書のように見えるかも知れません。しかし、そうではありません。国際法学会編『国際関係法辞典』は次のように述べます。
つまり、外交保護権は国家の権利であって、被害者である自国民の意志とは関係なく外交保護権を行使できるというのです。また、請求国が相手国(被請求国)から賠償を得ても、それは請求国に支払われるもので、被害者が自分に支払えと相手国に請求することはできません。
7. 救済手続が尽される前に締結された協定
(1) 外交的保護の要件には「被害者が加害国の救済手続を尽くしても救済が得られない場合でなければならない(”国内的救済の原則”)」というものがありました。
この通りであれば、被害者は既に加害国での訴訟で最高裁まで争うなどの手段を尽くしているはずなので、外交的保護によって賠償問題が解決すると法的紛争は決着したことになります。被害者が自国から賠償金をもらえない場合は、自国に対して補償を求めて訴訟を起こすくらいしか道はなくなります。
(2) ここで、日韓協定に話しを戻します。まず、日韓協定は外交保護権を発動して締結された協定ではありません。サンフランシスコ平和条約第4条を基礎とした朝鮮半島の分離独立に伴う財産・請求権処理のための協定です。
日韓請求権協定に先立って、例えば、韓国民が日本政府や日本国民に対して賠償請求訴訟などを裁判所で争ったわけでもありません。つまり、被害者・加害者が未だ法的に争っていない事案について、協定によって一定の要件の自国民の被害に対して、予め外交的護を行わないことが合意されたのです(外交保護権放棄)。
未だ争われていない事案の国民の個人の財産権や国内法的な請求権までを国が放棄したものではありません。しかし、双方の国の国内措置によって他方の国の私人の請求権が抹殺されることにより、韓国人の被害者が日本で賠償請求訴訟を裁判所で争う機会も協定によって事実上失われることになったのです。
(3) 残された道としては、被害者が加害者に対して、あえて相手国で訴訟を提起し裁判所の判断を求めるか、あるいは、自国の裁判所で訴訟を提起するしかありません。自国で訴訟を提起した場合、裁判管轄権の問題はクリアできたとしても、加害者が自国におらず国内で差し押さえする財産がなければ勝訴の意味もありません。
(2024.5.6 追加)
その後、植民地時代の精算が十分行われないまま、日本企業に国策で徴用され、強制労働に従事させられた人々が新日鉄住友に対して起こした請求権訴訟で、2018年に原告の勝訴が確定し、実際に日本企業が在韓資産を差し押さえられるという自体が生じました。
協定締結当時、日本企業は韓国から撤退し韓国内に財産がなかったので、韓国人が韓国で日本企業に対して賠償請求訴訟を提起するという事態は想定外だったと思われます。
(次記事へ続く)