§2 「主張することができない」の意味
日韓請求権協定には、対象となる財産・請求権について「完全かつ最終的に解決された」、あるいは「いかなる主張もすることができない」という文言があります。これらは、何を意味し、どんな方式で請求権問題が解決したとするのでしょうか。私人の請求権をも協定で包括的に放棄することを意味しているのでしょうか、ここで検討してみます。
1. 外交保護権のみの放棄だったのか
前節§1(どのように"解決された"のかー外交保護権放棄と国内措置) で、協定によって一定の要件の自国民の被害に対して、予め外交的護を行わないことが合意されたと述べました。しかし、日韓協定の「完全かつ最終的に解決された」、あるいは「いかなる主張もすることができない」という文言は、外交保護権を放棄したことのみを意味せず、私人の請求権をも包括的に放棄することを意味しているのではないかという考え方があります。
① しかし、国際法学者の杉山茂雄が言うように「規定から文字通りに理解されることは、財産・請求権問題に終止符を打ったということであろうが、どのような条件で『最終的に解決された』のかは一向に明らかでない」といえます。
② そして、条文からは「両国が、自国民の財産・請求権について相手国に外交保護権の放棄を約したものと解されるに止まる」と解釈され、日本政府もそのような答弁をしていました。
③ 「いかなる主張もすることができない」という表現には主語がなく、誰が「主張することができない」のか明示されていません。しかし、一般に私人は国際法上の主体ではなく客体とされ、とりわけ二国間協定においては文脈上、主語を「国」として、日韓両国政府が相互に「いかなる主張もすることができない」という意味に解釈する他ありません。これは、私の独自の解釈ではありません。他の例をあげましょう。
ハーグ陸戦条約第3条は「前記規則の条項に違反したる交戦当事者は、損害あるときは、之が賠償の責を負ふべきものとす」と規定しています。この規定について、交戦法規違反で損害を与えた者は被害者個人に対して賠償を支払う国内法上の責を負うと解釈すべきとの主張があります*。しかし、私人が国際法上の主体でないという前提に立てば、損害を与えた国家(加害国)が、被害を受けた国家(被害国)に対して「之が賠償の責を負ふべき」と解釈することになり**、交戦当事者が被害者である私人に対して賠償の責を負うという意味ではないということになります。日本では裁判所がこの解釈を採用しています。
註* フリッツ・カルスホーベン「意見書」、藤田久一他編『戦争と個人の権利』(日本評論社、1999年)、36-55頁
1994年に提訴された「オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償請求事件」(2004年3月30日原告請求棄却の判決確定)の原告側意見書。
註** 小寺彰「意見書」、藤田久一他編『戦争と個人の権利』(日本評論社、1999年)83-100頁、95頁
同上訴訟の法務省の照会に対する意見書。
日韓協定が、外交保護権のみの放棄とする解釈が正しいことは、協定の締結当事者である日本や韓国政府の協定締結当時の協定解釈や、日韓会談で条文を最終的に決めた事情を見ることで、更にはっきりします。
2. 「主張することができない」の意味
協定第2条3の「いかなる主張*もすることができない」、あるいは「合意議事録(1)」2(h)の「主張*しえない」とはどういう意味なのでしょうか。
条約の解釈の一般的な規則について、1969年の「条約法に関するウィーン条約」(1981年8月1日日本で施行)は次のように規定しています。
ウィーン条約は、条文の文脈の誠実な解釈を重視していますが、多くの場合は、文脈を判断する用語の意味が問題となります。同条約第31条第4項で「用語は、当事国がこれに特別の意味を与えることを意図していたと認められる場合には、当該特別の意味を有する」としています。当事国において「用語」に特別の意味を与えている場合は、その意味に沿って解釈しなければならないことになります。
つまり、「いかなる主張もすることができない」、あるいは「合意議事録(1)」2(h)の「主張しえない」という「用語」に条約当事者が、どのような意味を与えていたかを知る必要があります。
それは、まず日本の外務省が大蔵省に説明した1962年の文書に記載されています。次に掲載する資料1は、韓国による日本漁船舶拿捕によって生じた対韓請求権に関する外務省による記録で、「請求権を放棄する」ではなく、「請求を今後主張しない」という趣旨の表現を使う理由が述べられています。
資料1
1962年12月25日「日韓船舶問題解決方策に関する問題点(討議資料用)」4-5頁
http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/nikkankaidanbunsyo/pdf/638.pdf
この資料から次のようなことが分かります。
大蔵省が危惧したことは、日本人の個人の請求権を条約で放棄すれば、日本政府が請求権者に補償措置義務を講じる必要が生じ、他の地域の引揚者やサンフランシスコ平和条約で放棄した請求権についても補償問題が起きるのではないかということでした。
これに対し外務省は、表現は「請求権を放棄する」**ではなく「〔拿捕船の〕返還請求を今後〔日本国が韓国に対し〕主張しない」であり、法律上「外交保護権の放棄であって、個人が直接請求する権利まで消滅せしめているのではない」と説明しています。つまり、国民の権利の消滅は相手国がしたもので、日本国は外交保護権放棄で相手国に異議を主張しないだけで権利消滅の責任はないというわけです。
では、条約で個人が直接請求する権利を消滅させると、なぜ国に補償措置義務が生じるというのでしょうか。
大日本帝国憲法第27条では、私有財産を「公益」のために処分できるとしていましたが補償義務の規定はありませんでした。しかし、戦後の日本国憲法第29条3項は、私有財産を公共のために用いるには正当な補償が必要としています。公共のために用いるとは「強制的に財産権を制限したり収用したりすること」をいい(芦部信喜『憲法』第4版、224頁)、国民個人の請求権を条約で放棄すると、「正当な補償」を国が権利を失った人や法人に対してしなければなりません。
「正当な補償」の額については、相当補償説と完全補償説がありますが、相当補償説としても「当該財産について合理的に算出された額」(芦部224頁)とされ、道義的意味合いの見舞金や個別の財産の価額を反映しない交付金などはこれに相当しないと考えられます。
つまり、協定第2条3の「いかなる主張もすることができない」、あるいは「合意議事録(1)」2(h)の「主張しえない」という表現の意味は、国民の権利については「外交保護権の放棄であって、個人が直接請求する権利まで消滅せしめているのではない」ということだったのです。これは、条文の解釈の問題ではなく、一方の協定的結当事者である日本政府の明確な意思といえます。
なお、自国民の私的財産権・請求権の滅失に対する憲法上の補償義務はないとしていますが、日韓両国は交付金などによって部分的に一定の補償は自国民になされました。この補償は国際法上の義務でもないので、相互に、補償額が足りないとか、補償がされていないとか、相手国に口出しをすることはできません。
注* 日本語で「主張」とされている部分は、国連に提出された英訳では同趣旨と考えられますが表現が異なっています。
① 協定第2条3の「いかなる主張もすることができない」
→ no contention shall be made
②「合意議事録(1)」2(h)の「主張しえない」
→ no such claim can be raised
註** 資料1では、「請求権を放棄する」という文言の意味を、国民個人の請求権をも国が包括的に放棄すると解釈しています。
日本政府は、サンフランシスコ平和条約の「請求権を放棄する」という表現が外交保護権のみの放棄を意味するとしていました。しかし、「請求権を放棄する」という表現が国家のみならず、国民個人の請求権をも包括的に放棄するとの解釈も射程に入れ、日韓請求権協定では外交保護権の放棄のみを意味するような別の表現を考えていたことがうかがえます。
3. 外交保護権放棄は日本政府の一貫した主張
(1) 日本側が韓国側に示した請求権の意味
1965年に行われた最終会談の第7次韓日会談で、協定の原案を示した日本と、韓国の委員の間で協議がされました。その協議を本国に報告した韓国側文書(資料2)に、日本側が韓国側に示した請求権の意味が書かれています。
資料2 1965年6月21日、韓国文書・番号:JAW-06490
日本側は、このように韓国側委員に対して、日韓協定でいう請求権とは「外交保護権的な政府請求権」だと説明しました。
個人の請求権が「財産、権利および利益」に含まれるということに合意した、という意味は分かりにくいのですが、個人の債権等に対する請求権も協定の「財産、権利および利益」に含まれるという趣旨だと考えられます。
協定の「請求権」とは国家間の請求権で、そもそも国際法上、賠償を請求できるのは国家に限られ、個人が国家に直接請求する権利はないという前提なのです(§6で引用する小寺彰「意見書」を参照ください)。
この資料から、請求権の放棄とは「外交保護権的な政府請求権」の放棄を意味すると日本側が韓国側に説明した上で協定が締結されていたことが分かります。これは、ウィーン条約第32条に条約の補足的な解釈として規定されている、締結にいたる過程での締結当事者の意志を示すものともいえます。
(2) 1965年7月『日韓会談(請求権問題)関係想定問答』
1965年7月に理財局が作成した『第49回国会(臨時会)日韓会談(請求権問題)関係想定問答』(資料3)には、日韓協定のいう「解決」が外交保護権の放棄であることがチャートで端的に解説されています。
1965年7月の『第49回国会(臨時会)日韓会談(請求権問題)関係想定問答』(理財局)23-24, 26頁
この資料3の24頁では次のように、国民の権利(財産権・請求権)を「国がこれを取り上げて相手国に対して放棄するのでなく」、「いわゆる外交保護権を放棄するものである」と放棄の方法を述べています。
上記引用部分の後段では、日韓協定によって直ちに相手国民の財産権が消滅することはなく、日本国内では韓国民財産権を消滅させるための実定法が必要であるとしています。
この理財局の説明では、日本政府は国の権利としての請求権が放棄されたとし、個人の権利としての請求権については触れない一方、チャートでは「国及び国民の財産権と請求権を放棄し、今後もう主張し合わないこととする」「第2条の例外を除き一切のものが消滅する」としています。
(3) 1965年9月「日韓請求権条項と在韓私有財産等に対する国内補償問題」
1965年9月1日の「日韓請求権条項と在韓私有財産等に対する国内補償問題」(資料4)は、協定第2条3について国際法・国内法の観点から詳しい解説がなされています。(この資料の全文はテキストデータ化してこちらに掲載しました。)
内容は資料3と同じ趣旨ですが、次のように述べられています。
資料4 1965年9月1日「日韓請求権条項と在韓私有財産等に対する国内補償問題」
(4) 谷田正躬「請求権問題」『時の法令』1966年3月別冊
1966年の『時の法令』3月別冊は、日本国民の在韓財産に対して「2条3の規定の意味は、……国が国際法上有する外交保護権を行使しないことを約束することである」としています。
(5) 1991年8月, 条約局長・柳井俊二答弁
1991年8月27日、条約局長・柳井俊二は参議院予算委員会において、次のように、それぞれの国民の請求権を含めて解決したということは、外交保護権を相互に放棄したということ、と答弁しました。
(6)「第二次世界大戦後の賠償・請求権処理」『外務省調査月報』1994年
1994年『外務省月報』は、個人の請求権問題において、サンフランシスコ平和条約や日韓協定の「国家が国民の請求権を放棄する」という文言の意味は、「個人の財産・請求権自体を国内法的な意味で消滅させるものではない」、「外交保護権を放棄」との解釈を日本政府が一貫して取ってきたとしています。
最後に引用した『外務省月報』の記事は、個人の見解でも内部文書でもなく、外務省条約局法規課長名による公式見解です。
ただし、戦争に起因した複雑な賠償問題に関して、明確に「請求権放棄」と記述されたサンフランシスコ平和条約と、韓国の分離独立に伴う民事的な請求権問題に関して「請求権放棄」という文言を使っていない日韓協定とは、全く同じとは言えず、区別して考えるべき点があると思われます。
いずれにしても、日韓協定締結過程の内部文書や、日韓会談での韓国側委員に対する説明を含めて、国際法上の請求権の放棄とは外交保護権の放棄であり、日韓協定の財産・請求権について「いかなる主張もすることができない」という用語に、個人の財産・請求権の放棄ではなく「外交保護権の放棄」という意味を与えていたことは明らかです。
ただし、伊藤は、個人が直接請求する権利まで消滅せしめているのではないとする一方で、「国及び国民の財産権と請求権を放棄し、今後もう主張し合わないこととする」「第2条の例外を除き一切のものが消滅する」とも述べています。これは、相手国民の一切の財産・請求権を国内の措置法で消滅できるとの趣旨でしょう。
4. 日韓の裁判所の判断
山下朋子(国際法)は、韓国大法院判決(2012 年5 月24 日)に関して、次のように、日韓請求権協定が「個人請求権を消滅させる趣旨ではないという理解で、両国の裁判所見解は一致している」と指摘しています。
名古屋高裁2007年5月31日判決は日韓請求権協定について「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこと」により、 「日本国及びその国民はこれに応じる法的義務がなくなった」としています。日韓の裁判所が、請求権放棄の条文は個人請求権を(実体的に)消滅させる趣旨ではないという点については一致しているといえるでしょう。
5. §1と§2のまとめ
日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」、あるいは「いかなる主張もすることができない」という意味は何だったでしょうか。どのように「解決された」かを中心にしたこれまでの議論をまとめてみました。
(1) 何が「完全かつ最終的に解決された」か
① 外交保護権の相互放棄
一定の要件の相手国民の財産権・請求権を、国内法的に消滅させる措置をしても、日韓両国は相互に異議を申し立てない、すなわち外交保護権を行使しないという約束が協定でなされました。
② 自国民の権利や請求権の消滅は要求されない
日韓請求権協定は自国民の個人請求権を消滅させる趣旨ではなく、相手国国民の財産権・請求権を法律上実効的に処理しうるものについて消滅させる措置に対して、相手国は外交保護権を行使しないと約束がなされました。つまり、国内法的に相手国民の私的請求権までも消滅できるというフリーハンドを相互に認めることで、韓国の分離独立に伴う日韓両国民の財産権・請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」といういうことになったということになります。
(2) 国内的救済を命ずる規定がない
日韓協定は、権利について消滅や放棄について規定するのみで、どのような請求権問題に対してどのように補償、あるいは解決するかについては一切述べていません。また、権利を消滅させられた国民に対する国内的救済の手立てについて命ずる規定はありません。
なお、相手国の措置によって消滅した権利について、日韓両国共、自国民に対して憲法上の補償義務はないことになりますが、それぞれの国内措置で交付金などによって、部分的ですが一定の補償はなされました。
(3) 救済手続が尽くされる前に外交保護権が放棄された
外交的保護の要件には「被害者が加害国の救済手続を尽くしても救済が得られない場合でなければならない(国内的救済の原則)」というものがありました。しかし、救済手続を尽くす前に協定は結ばれました。そこで、被害者が相手国で訴訟を提起しても、国内措置や処理で相手国民の私的請求権までも消滅できるというフリーハンドを協定で相互に認めているので、被害者の請求は相手国の措置法や司法判断によって棄却されることになります。
(4) 協定が想定していなかった自国での訴訟
日韓協定の外交保護権を相互に放棄するという枠組みからみて、韓国国民が韓国国内で日本国民・企業に対して請求権訴訟を提起することは締結された協定の想定外だったと言えます。
韓国が日本国に対する外交保護権を放棄しても、韓国人の国内法的な意味での請求権が消滅するわけではありません。むしろ、1948年12月10日に第3回国連総会において採択された世界人権宣言の第8条は、権利侵害に対して国内裁判所による救済を受ける権利が全ての人にあることを次のように宣言しています。
また、1951年9月8日に締結されたサンフランシスコ平和条約の前文では、次のように日本が世界人権宣言の目的を実現するために努力することが宣言されています。
しかし、韓国の協定締結当時の状況として、例えば、被徴用者(いわゆる徴用工)の加害企業は韓国には既に存在せず、在韓資産もありませんでした。ですから、事実上、韓国国内で訴訟を起こすことはできませんでした。
(次節へ続く)