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§8 まとめ

 第二次世界大戦によって生じた諸問題を日本が連合国との間で解決するために、1951年にサンフランシスコ平和条約が締結され、同条約第4条(a) 項は、日本が領土放棄した地域について、日本国・日本国民と地域の施政当局・その住民の間の財産・請求権の処理日本国と施政当局との間の主題とすることとしました。この規定に従って、日韓会談が行われ、1956年に締結されたのが日韓請求権協定です。

1. 問題の所在

(1) サンフランシスコ平和条約戦争によって生じた賠償請求権について、日本国・日本国民と連合国・連合国国民の間の請求権放棄を定めました(第14条(b)、第19条(a))。

(2) 一方、日韓請求権協定は、韓国の分離独立に伴う日本国・日本国民と韓国・韓国国民の間の財産・請求権の処理を定めました。
 日韓請求権協定はサンフランシスコ平和条約と異なり、請求権放棄の文言がなく、「両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が」「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」(第2条1項)という表現によって、請求権問題が解決されたとします。
 また、「締約国及びその国民に対するすべての請求権」に関しては「いかなる主張もすることができない」(第2条3)、あるいは、韓国による日本漁船のだ捕から生じたすべての請求権は韓国政府に対して「主張しえないこととなることが確認された」(「合意議事録(1)」2(h))という表現で、両国とその国民の請求権は相互に主張できないと規定しました。

(3) 日韓請求権協定で問題となるのは、次の2点です。
賠償的な請求権が含まれているか
 財産権に対する請求権以外にも、強制労働などに対する賠償的な請求権が含まれているのか。
② 「外交保護権のみ放棄」されたのか
 請求権が「完全かつ最終的に解決された」、あるいは「主張しえない」という表現は、
 1. 相手国が国内法的に国民の請求権を消滅しても、国家の権利である外交保護権を放棄して結果的に国民の請求権を放棄するということか、
 2. あるいは、国民個人の請求権をも包括的に協定によって放棄することを意味しているのか

2. ① 賠償的な請求権が含まれているか

 日韓請求権締結当時は日韓両国において、植民地支配の償いや強制労働などに対する賠償は含まれていないとされていました。
(1) 韓国
 日韓請求権締結時、韓国国内では協定で経済協力として約された5億ドルの資金供与が植民地支配の償い、あるいは債務といった言説もありました。しかし、協定では経済協力と請求権放棄の関係は示されず、また、協定には植民地支配の償いや強制労働などに対する賠償は含まれていないと解されていました。大韓民国政府が1965年3月に刊行した『韓日会談白書』では、日韓両国の請求権問題には、賠償請求を含めることができないというのが根本的立場だとします(§5)。

(2) 日本
日本においても、外務省外務事務官だった谷田正躬は『時の法令』(1966年3月別冊)で、5億ドルの資金供与は「韓国の対日請求に対する債務支払いの性格を持つものでない」と述べています(谷田正躬(外務省外務事務官)「請求権問題」『時の法令』1966年3月別冊( 59~68頁)64-65頁)(§5)。
椎名悦三郎(国務大臣)は、1965年11月26日の参議院日韓条約等特別委員会で、日本よりの無償・有償の経済協力は、植民地の独立し際して英仏などの宗主国が「新しい国の門出の祝いをかねて経済建設の資金を提供」したことにならったもので「賠償と同じ性質ではないと答えました(§5)。 

3. ②「外交保護権のみ放棄」されたのか

 2000年頃までの日本政府の見解では、日韓請求協定のみならずサンフランシスコ平和条約、あるいは同平和条約に伴う二国間の請求権に関する平和条約のいずれも、条約によって私人(個人)の加害国または加害者個人に対する請求権が放棄されるのではなく外交保護権のみが放棄されたとしていました。
 協定第2条3は次のように「一方の国」の請求権に対する「他方の国」の「措置」に対して(一方の国は)いかなる主張もすることができないとします。

一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができない

例えば韓国人の場合は、
① 韓国とその国民の財産・権利で協定署名の日に日本国の管轄下にあるものに対する日本の措置と、
② 韓国とその国民の日本国と日本国民に対する請求権が、協定署名の日以前の事由で生じたものについては「いかなる主張もすることができない」というものです。
 日韓請求権協定第2条に基づき、日本では韓国人の権利を消滅させるための措置法が1956年12月17日に制定されました。
 協定によっては、私人の財産・請求権は直ちに消滅しません。しかし、韓国人の場合は、韓国人の財産・請求権は日本の国内法上の措置を通して消滅することができ、それに対して韓国側は外交保護を行なえない、すなわち、韓国民の権利消滅に対し韓国は日本国に異議を言うことができないので、韓国民は日本で日本国や日本国民に対して請求権訴訟を的出来なくなるのです。
 1994年『外務省月報』は、個人の請求権問題において、サンフランシスコ平和条約や日韓協定の「国家が国民の請求権を放棄する」という文言の意味は「外交保護権を放棄」との解釈を日本政府が一貫して取ってきたとしています(外務省条約局法規課長・伊藤哲雄「第二次世界大戦後の賠償・請求権処理」『外務省調査月報』1994年No1(77-115頁),112頁))、(§2) 

4. 日本政府の解釈変更

 2000年頃まで、戦後補償訴訟において日本政府は「国家無答責の法理」「戦争被害受忍論」あるいは消滅時効除斥期間の経過によって原告請求が棄却されるべきとしていました。とりわけ、日本人の戦争被害の請求権については、条約によっては個人の請求権は条約によって消滅しないという「外交保護権のみ放棄」論で、国は請求権放棄によって国民に損害を与えていないと説明していました。

(1) 「サンフランシスコ平和条約の枠組み」
 しかし、米国では、サンフランシスコ平和条約署名国国民の日本国民に対する請求権は同平和条約によって放棄されたとする2001年の米国のウォーカー判決が出され、2004年に確定しました。
 日本でも強制労働の苛酷さなどを理由に消滅時効や除斥が否定される判決が出るようになりました。そこで、米国のウォーカー判決をきっかけに、サンフランシスコ平和条約によって個人の請求権も含めた全ての請求権が放棄されたという論に日本政府が主張を軌道修正したと考えられます( §4 )。
 オランダ人元捕虜・民間抑留者訴訟の控訴審において、2001年2月27日付準備書面で国(日本政府)は予備的に「『請求権の放棄』とは,日本国及び日本国民が連合国国民による国内法上の権利に基づく請求に応ずる法律上の義務が消滅したものとしてこれを拒絶することができる旨が定められたものと解すべきである」との主張を追加しました。
 つまり、サンフランシスコ平和条約の請求権放棄は請求権を直ちに実体的に消滅させるものではない(請求権は存続する)。しかし、同条約によって日本国民が請求権に法的に応ずる必要がなくなったとするものです。従来の「外交保護権のみ放棄論」との論的整合性を保ちながら、米国のウォーカー判決と同様の効果をもつ理論構成にしたと考えられます( §4 )。
 西松建設強制労働訴訟では、2007年4月27日の最高裁判決は「サンフランシスコ平和条約の枠組み」というものがあり、「請求権の『放棄』とは請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当」とし、条約によっては請求権が実体的に消滅されないが「裁判上訴求する権能を失わせる」としました( §4 )。

(2) 日韓請求権協定と「サンフランシスコ平和条約の枠組み」
 日韓請求権協定は戦争賠償に伴う請求権問題を規定したものではなく、請求権の放棄も明記されていません。従って「サンフランシスコ平和条約の枠組み」を日韓請求権協定にそのまま適用することはできません
 しかし、 名古屋高裁2007年5月31日判決(三菱名古屋女子挺身隊訴訟)は、国が権利行使阻害説に転じたことを受けて、日韓請求権協定第2条3項で「いかなる主張もすることができないものとする」とし「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決された」(協定第2条1項)ことから 「日本国及びその国民はこれに応じる法的義務がなくなったとしました
 これは、「サンフランシスコ平和条約の枠組み」を日韓請求権協定に合わせて適用したものではないかと考えられます( §4 )。

(3)  韓国での解釈見直し
 2005 年 1 月 11 日に韓国政府が日韓会談の韓国側文書の開示を決定しました。同年8月26日に「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」が開催されました( §7 )。
 同共同委員会は、「日本軍慰安婦問題等、日本政府・軍等の国家権力が関与した反人道的不法行為については、請求権協定により解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っている」と表明しました。つまり、国家権力が関与した反人道的不法行為の賠償は含まれていないとしました。
 「国家権力が関与した」と限定していますが、基本的には従来の賠償は含まれていないという解釈を維持するものでした。
 また、「韓国政府が国家として有する請求権、強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案さているとみるべきである」としていることから、強制動員被害補償問題についても韓国政府の請求権については放棄されたわけです。
 ただし、上記①のとおり、日韓請求権協定には「国家権力が関与した反人道的不法行為の賠償は含まれていない」ということになるでしょう。

5. 結 論

 以上のように、日韓請求権協定第2条3項で「いかなる主張もすることができないものとする」とし「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決された」という意味は、条約締結時においては

(1) 日韓請求権協定には、植民地支配の償いや強制労働など対する賠償は含まれない

(2) 
日韓請求権協定によって、加害国または加害者個人に対する私人(個人)の請求権は放棄されない。しかし、相手国が自国民の権利を消滅させるための措置に対しては外交保護権を放棄する

というものでした。

(3)
2001年頃に、日本政府はこれらの解釈を変更し、日韓請求権協定によって日本国及びその国民は韓国民の請求権に応じる法的義務がなくなった、すなわち、訴権が制限されるとしました。ただし、解釈を変更した理由は述べられていません。解釈を変更したとも表明されていません。
 1965年の日韓請求権協定で、請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」ことは韓国政府も否定していません。協定締結当時の解釈をなぜ、どのような理由で変更したのか、日本政府に説明の責任があるといえます。

( 完 )



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