小説プレス機にはなるな
実用的な記事を書きたくない。
実用的な記事を書きたくないです。
書きたくない!
Q:――なぜですか?
A:理由としてはいくつかあるのだが、まず第一に実用的な記事というのは個性がちょっと出しにくい。
例えばこの記事は、僕のこれまで書いたものの中では一番伸びている。
まあ全然大したことはないんだけど、別のしょうもない記事よりも100倍くらい伸びている。
ん、よく見たらコメントがついてるぞ。
僕のコメ欄で宣伝するなカス。腹立つなぁ。あーもう、なんかめっちゃイライラします。コメントで自分もこういうことしました~って言うのは別に悪いことではないのかもしれないけど、なんか嫌だな。まあいいけどさ。
話が脱線した。まぁこういうコメントがついちゃうような、普通に一般人の皆さんにとって需要のある記事を書いてたりもしたわけ。
でもなんでこの手の記事が読まれるかっていうと、つまりは
「実際に『砂の女』読むのダリ~からあらすじだけ追って読んだ気になりてェ~!」
って思ってたりするわけでしょ?青空文庫にもないしね。
中には実際に読んでみて、人の解釈を聞いてみたいみたいな気持ちから記事に来た人もいるかもしれないけど、思うにほとんどが安易に知ったかぶりたくて来ているんじゃないのか。
いや~まあいいんだけどさ~、それってつまりは雑用じゃん。
僕は小説プレス機になるわけでしょ?ひたすらあらすじをまとめる、小説プレス機。僕、小説プレス機になりたいわけじゃない。
小説プレス機は物言わぬ機械でしょ。そんなダッチワイフみたいな消費のされ方したくない。
僕は村上春樹をよく読むし、その解釈についても興味はあるからそれについての記事を書けば案外いい感じになるとは思う。
でもそれをあまりできずにいるのは、小説プレス機になりかねないから。
解釈の提示というのはやってみたいことではあるんだけど、それって読み手に答えを手のひらにポン、と置いてくだけになりかねない。それで僕みたいな薄らバカタレの解釈を自分の意見みたいに宣うわけでしょ。ちょっと怖いなそれ。もっと自分で考えてほしいのに。
でも需要があるのはわかる。あらすじって書くの結構めんどいしね。あとなにより読むのがめんどいしね。
その需要に乗っかって僕があらすじを書く小説プレス機になっちゃったとしたら、それって所謂ファスト映画みたいなもんじゃない?
もうある意味では半分手を染めてるんだけどね。二年前に書いてるわけで。解釈を書いてもいるわけだが、それって手っ取り早く読書体験を擬似的に得ることを助けてしまってもいる。
Q:――じゃあ、読書の仕方を説けばいいじゃん。
A:やってます。
でも、ぜ~んぜん伸びてません。お前らばかなんだからこれ読めや。あほんだら。
結局、みんな楽したいねんな。
あたし知ってた。男ってみんなそう。
みんなダッチワイフを求めているのだ。
というか、note全体の雰囲気として、胡散臭いやつらが幅を利かせすぎてない?
なんか、記事を読んでもないのにスキを適当にしまくって集客しようとしてるアナル舐め妖怪が多すぎ。実用的なことを書いてそいつらと同一視されるのも嫌過ぎる。お前のスキ、もっと大事にしろよ。
てか、アナル舐め妖怪の人生がうまくいってたらかなりヤダ。水たまりとかで転けてジーンズびっちゃびちゃになってほしい。
Q:――結局なにが言いたいん笑笑
A:うーん、まあとりあえず、ファスト映画的な雑用でPVを増やすのはなるだけ控えたいということですかね。
このふたつは、比較的まともなかたちで伸びた記事です。
『砂の女』の記事が悪いとは言わないんだけど、やっぱりなんかズルというか、ファスト映画的なんですよね。ケツ穴を差し出しちゃってる。ケツ穴をゲボに献上してしまっている。
最近は伸びる記事書けてないので、なんとかしたいと思ってはいるんですよ。でも、実用的な方向に走りすぎると自分の良識に反することになる。
なので、小説プレス機にならないように気をつけて、答えをすぐに差し出すだけみたいな記事は避けたい。
その塩梅をうまくやろう。この記事もど~せ伸びないけど。早朝に頑張って書いてるのに。やんなっちゃうワ。