クロールの泳ぎ方
日々、溺れてるみたいな生活をしている。
仕事の日の朝はギリギリまで寝て、雑に支度をして、前回の仕事の際に飲んでいた内容物の微量に残ったペットボトルを出さないままにしているかばんを持って出勤する。
職場にギリギリに到着し、机にかばんを置いて(ロッカーに入れる精神的、時間的余裕はない)仕事着を着用して仕事を始める。
時々意識を飛ばしつつ、仕事を終える。仕事の間、有用な考え事などはほぼできていない。昼メシの弁当は二割くらい食べきれずに残す。食べるのが遅いから、間に合わない。給食のときからそうかも。
基本は自転車通勤で、コンビニに寄って帰ったりする。
帰宅してpcをつけ、着替えてベットに沈む。いや、沈んでない。上にガチンと乗る。寝ない。寝不足なのに寝ない。寝れない。ガチンと乗る。
kovaaksをつけ、YouTubeを流しながらGONのプレイリストを三十分程度で行い、デスマッチに数戦いく。調子が悪いと一生デスマッチをする。
キャリーできる試合もあればカスの試合もある。大抵の場合、満足いかずに23時を回り、寝る準備の準備みたいなものを始める。
風呂などを済ませるのは0時半くらい。そこから寝るけど、寝れない。四時間睡眠位になる。おわり。
この、ぐちゃぐちゃであるという規則性から脱したい。眼前の一秒一秒を犬かきで泳いでいる。常に疲弊している。常に足がもつれている。
Notionで自己の内面や習慣を制御しようとしたが、Notionを開く元気、まとめる元気がない。仕事中にそういうことを不意に思いついて、やる気を出すがそれは刹那的なもので、帰宅した頃にはその熱は失われている。
睡眠不足か、休日に昼まで寝ちゃうので、キューピーコーワヒーリングを買って飲んでみている。寝覚はよくなったが、睡眠導入の効果はないから、たしかな睡眠不足を感じる。最近になって睡眠時間は少しずつ設けることができつつある。がんばろう。
VALOにとりつかれている。ゴールド2。最近おおよそのことがわかってきて、成長期でポイントを盛れていたが、野良という運要素があまりにも酷い場合に気が狂うし、自分の身が安定していないことに恐怖している今、このゲームに時間を注ぎまくるのはやばい気がしている。ので、やめたい。今日は発狂してアンインストールしたので、やめる第一歩を踏み出している。
絵を描かない、描けない。
課題は多い。最も重要な顔を、さらっと描けないし、ヘタ。つらい。ひどくつらい。
上達の仕方というか、参考に仕方みたいなものを確かなものにできていない。すごく吸収している時期もあったけど、メタファー発売から絵を描かない免罪符を手に入れてそれにかまけていた。ソロゲーができない病気のせいで肝心のメタファーも十分にできてない。死んだほうが良い。
やりたいこと、やるべきと思っていることを明瞭にしないと、後悔し続ける。毎日、毎日に後悔し続けている。このひと月は本当にそうだった。
自分を統御するという意味では日記を書くべきなのかも。
引用すると通知がいっちゃうのでとても申し訳ないのだが、とても共感できた。どうやら今月うまくいってなかったのは僕だけではないらしい。
僕も、試合の八割接続切れで3キルのスカイが試合終盤に戻ってきてチームのムーブメントに文句を言ってきたとき、怒るべきだったのかもしれない。ゴールド帯で勝ててないのは僕が下手だからだ、というのを結論としておいていたけど、それは誤りなのかもしれない。
「顔の描き方 コツ」とか「エイム コツ」とか、調べるけど、そうやって調べることに頼りすぎているかもしれない。頼ることのなにが悪いかというと、その検索結果として示されたものを視聴するだけでわかった気になってしまうことだ。実際にはもっと細かくて、地味で、当然のこととして言及されていない箇所にちゃんと注目して、徹底して真似て、意識しなくてはならないのかもしれない。
インスタントに、その時の解を求める犬かき的な生活をしていたから、まるで今月は成長しなかったし、それによる充実してなさも凄かった。人間関係も少しでも摩擦が生じたら切ってしまったりした。
1分先のことも考えられてない。
Notionについて調べてたら、「to doリストを使うやつは無能」とサムネに書かれたDaiGoの切り抜きが出てきた。
うるせえばか。
混沌とした、感情の赴くままに動いて自責する生活は疲れるし、あまりに実りがないので、少しずつ考えて自己を統御したい。現実の僕の様子は大人しいが、頭の中はぐちゃぐちゃで、パープル・ヘイズみたいに食いしばった歯の隙間から唾液がだらだら垂れている。
一旦、現実的な時間割、やることを明文化して形を作るつもりだ。深夜とか仕事の合間にはこういうことを考えるが、実際に動くとき、僕はこれをすべて忘れる。なので、この冗長なnoteを書いて意識づける。
結局、人間がなにか成功したり、あるいは普通にある程度の幸福を得るには、基本的にはポジティブに物事に取り組む必要がある。いや、少なくともネガティブすぎてはいけないことは確かだと思う。自分はネガティブすぎる。
幼児期の頃から、夢とか希望とか愛とか優しさとかそういう種類のものを欺瞞だと思っていた。本気でだ。本気で思っていた。そういう教育をして、それを鵜呑みにする人間は他人と摩擦を生まないようにできるから、そういう歌詞や教訓を作っているのだと本気で思っていた。実際にそういう側面もなくはないだろうが、そもそも本当にそういうポジティブなものは正解である、という結論あってのものなんだと、最近気づいた。
ポジティブであることは、ひとつの正解だ。ある程度耐久力のある、普遍的な正解。その普遍性は僕をも包含する。僕もポジティブでいたほうが、基本的にはいい。ネガティブであることで、たくさんの摩擦、誤解、自責を生んできた。
現実的なとりあえずの、一つ先のかたちとして、あんまりネガティブにならないという目標を持つことにする。
そして、クロールの泳ぎ方を覚えること。
犬かきから、クロール。息継ぎをする。鼻や口に水が入らないようにする。
小学生のころ、25m泳げなくて、夏休みに学校のプールに通わさせられた。
なんとか不完全で、無様なクロールを会得して25mを泳ぎ、「25m泳げたで賞」と書かれた厚紙――中央には笑顔でクロールをする少年のイラストが挿入されていた――をもらって帰ったことを克明に覚えている。多分嬉しかったんだと思う。