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【日記】ヒマラヤほどのあらびきソーセージおにぎりひとつ 2022.6.19
朝から昼にかけてAPEX配信をした。
今後どのように動くかについて口に出して考えるために行った。
就活やバイトしないとな、色々しながら。というのが結論だ。
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もはや返答が面倒なので簡潔に示しておくと、
フォロワーの質という表現が僕の傲慢さの現れとして誤解されたので、その「傲慢」の対極の立場としての「卑下」の姿勢を示したに過ぎない。
多かれ少なかれ、日本社会に生きる人々は自身を謙遜するだろう。そして僕の卑下の性質は内省的なものであり、鬱屈としながらも解決策を模索する意図を持ったものであると述べた。
端的に言って、上の便りは受けての僕に攻撃性を感じさせるものだった。
別にそれは構わないのだが、謙遜の姿勢を嫌悪する──それも気持ち悪いという感覚を伴って──というのはかなり生きにくそうだ。
鬱的であることにしたって、そんなものはインターネットに溢れているし、僕の書いている場所にしたってそれほど明るい場所でもないのだから、虚飾によって軟弱さを否定する、暗い精神性を捨象してしまうコンテンツの作成など僕の望むところではない。
所謂「意識高い系」的な誇大したナルシシズムを振るう姿勢の方がよほど恐ろしい。そういう種類の人間が読みもしていない記事をいいねして集客しているのだから、やはり僕の好むところではない。
人間は一定のこだわりを持って良いはずだ。それは他者に侵害されてはならない。そのこだわりが目的達成に対していくらか弊害になるものであったとしても、そのこだわりという一種のモラルを捨て去ってしまうことはできないし、したくないだろう。
今日は配信で、今後は村上春樹などについて書けば有意義なものを作れるのではないかということを話した。
昨今は原作と解釈とが交錯し、綯い交ぜになってしまっている。
卑下しないことによって発生する傲りは情報の質を下げ、誤解を招くことになるだろう。
ここ数日間での「フォロワーの質問題」を振り返ると、僕はフォロワーの質という表現により傲慢な人間だと勘違いされ、それを対極にある卑下という内省によって非を認めて正しい説明を行った。すると今度は卑下は気持ち悪い、だ。
どうにも要素が矛盾し、混沌としている。それはインターネットという匿名性と個人の捨象によって暗闇のようなものを相手にしているがために生まれる混沌であると言えるだろう。
つまりは「フォロワーの質問題」はまさしく原文と解釈の入り交じりによる混迷と、読み手による「卑下」と「傲慢」の押し付けというダブスタを見ることが出来る。二項対立を繰り返した入れ子構造の様相を呈してきている。
簡単な言葉を使えと叱責する人々からすると、上の文章は少し難解であったかもしれない。
断っておくが決してばかにしているのではない。読書経験や執筆経験によって文章理解の程度は異なる。僕とて始めは論文など読むのに苦労した。そこにあるのはただの経験の差でしかない。音楽は聴くけど楽曲制作などに詳しくない僕がその手のことをまるで理解できないのと同じだ。tofubeatsがどうやって曲作ってるのかとか気になるけど全然わなんないもん。
もし眼前の文章を読むのが難しいと思ったならば、もうそれは読まないという選択を取るのが正しい。「易しい言葉で説明できないやつは馬鹿だ、語彙で韜晦している」という言説に則って読まないことを正当化してくれても構わない。僕はその言説が適応できるシーンには限りがあるとは思っているけれど、そこは最早主義・思想によるものでしかない。
少なくとも僕は僕の考えていることを、一日の中で割くことの出来るリソース分で文章にした。
いくつか僕を擁護するような意見を見たが、僕はやはり卑下する人間であるから、今回誤解を招く表現を用いたことについては謝っておく。ごめんなさい。
卑下する人間だとはいえ、人というものはそう単純に割りきれるものではない。そもそもほんとうに純度100パーセントの卑下人間であったとしたら、こうも生真面目に反証したりしないだろう。今頃泣き寝入りだ。
自分のこだわりを大切にすべきだ。そのこだわりが外部刺激によって変わることもあるだろうけど、それでいいと思えたなら僕たちはその摩耗していくこだわりを抱えて生きていけばいい。
例えば僕が今日、あらびきソーセージおにぎりしか食べていないことだって、こだわりのひとつと言えるんじゃないだろうか。