【日記】オフラインでの対話の尊さとコミュニティの難しさついて 2022.5.6
いつも日記はその日のうちに書いていたのだが、日を跨いだ夜中である午前4時にこの文章を書いている。とても疲れたが満足感がある。
ネット上の関係ではないから詳細は割愛するんだけど、何人かで飯を食べてから今まで喋ったりしていた。
僕にとって限りなく少ない気の置けない人とオフラインで会話することはオンラインのそれよりもずっと感覚が違うし、より本質的で率直なコミュニケーションができるように感じている。
僕がネットで身を置いているコミュニティというのは、元はとある配信者のリスナーという枠組みのものだ。僕はそういった既存のコンテンツに依拠する形でコミュニティに入ることが出来た。
そこでは会話をしたり、ゲームを共にプレイしたりできる。作業をしながら雑談することもできるし、情報交換も容易だ。僕はそういった環境を当然のように享受しているけれど、これは結構ありがたいことなんだなと最近は思う。
○○のリスナーというネームタグみたいなものの恩恵によって今の関係性が存在しているわけだ。
ではもし、僕がそういった帰属意識というか、自己紹介に書けるような引っ掛かりとなるものがなかった場合には一体どうやって一緒にゲームをしたり話をしたりする人を得るのだろうか。
これを考えたとき、僕には方法がちょっと思い浮かばなかった。
勿論、適当にAPEXをやるサーバーなんかを探せば無数にサーバーは存在するかもしれない。
けれどもそこでは本当の最低限のマナーというか規範というか、了解みたいなものが確保されていないのではないかと僕は思う。
たぶんそこには魑魅魍魎が跋扈している。インターネットの悪いところが集約されていそうな予感がする。
僕の属するコミュニティにそのような問題がまったくないか、と言えばそれはきっとノーなんだけど、割合としてはやはり圧倒的に安心みたいなものは保証されている。
そのようにして考えてみるとやはり僕は幸福だったと言える。僕の脆弱な精神性からくるパッシブな立ち回りであったり、サーバーを抜けたり爆破したりする逃走的な行為に苛立ちを感じて嫌いになる人は少なからず居る訳だが、それは仕方の無いことだし、嫌いになることにも妥当性がある。
棲み分けはとても自然な形でなされていく。
まずはコミュニティに一度身を投じてみないことには、そのような棲み分けや関係の取捨選択も行うことが出来ない。とはいえオープンすぎるコミュニティにはとても食べられないような砂利や石ころが多すぎる。それらを掻き分けて心地よい関係を見つけていくというのは労力が大きいし、そこに作るべき関係を見出すことができない可能性も高いのではないだろうか。
程よくクローズドで淘汰された場に入っていくというのがコミュニティ参入の最も効率的な手段である。
以上のようなことを喋りながら夜中3時に散歩をした。銭湯帰りの夜風はとても心地よかったし、話すことで考えをまとめることもできたように感じる。自分を客観的に見つめ直す機会にもなった。そして自分の男性性や、性欲的なものが熟々嫌いだな再認識させられた。あるいは男性であることによって付き纏う前提みたいなものがひどく邪魔なものに思えた。
僕は男性よりも女性との方が実際的な話であったり、あるいは純粋に友好的になることが多い。それは僕の精神が女性的であったり、リビドーへの嫌悪感をある側面で有しているということが起因しているとも考えられる。
けれども傍から見た時僕は下半身直結型的な野蛮さを伴う人間にだって見えなくもない。見る人が見れば僕は僕の嫌う人種となり得る。僕は二十歳を越えても、依然としてそのようなことに悩んでいる節がある。
友だちといった関係性ではもちろんの事そこに性欲が介在することは超自我的な箇所で排除しているのだが、こと恋情の伴った関係においても僕はこれを無きもののようにして振る舞うことがある。
まず少なくとも、僕にとっての恋愛的好意はとても曖昧模糊な、ただなんとなく好きという感覚ーー言わば小学生的な恋愛観だーーによって構成されている。
とても愚直な「すき」といった感覚が僕の中を通り抜けていって、場合によってはそれがなにかの形をとって出力される。稚拙な例を挙げるとちょっかいを掛けたりであったり、ただ視線を注いだりなど様々だろう。
ただ僕は成人男性であるから、僕の純粋だと思っている恋情という乗り物の背後から、ゆっくりとではあるが確実にリビドーという後続車両が追ってくるのだ。
僕自身、その恋情をピュアで半透明なものとして扱っているのだが、時間が経ってその恋情を覗き込んだ時、その恋情というものの背後には性欲が次第に透けて見え出すのだ。
結果として、僕は恋情というレイヤーの下に性欲を見たにも関わらず、恋情にリビドーが伴っているあるいは内在しているという感覚に囚われてしまい、恋愛というものに不純さを感じ、放棄したくなってしまう。
そしてそういった感覚を皆が同様に持ち合わせていると僕は思っている。僕はその透けるリビドーを他者の目に触れさせたくないし、友だちという関係性の中で万一発生してしまう場合というものを考慮してかなり受動的になることがある。
長々書いたが、こういった面倒な感性が、僕のコミュニケーションの障壁として立ちはだかっている。僕は性差なく、価値のある友好関係を築いていきたいと思っている。基本的にはやはりゲームを取り巻くコミュニティに身を置きたいのだ。
三国志大戦というゲームを取り巻いたコミュニティのよかったことやよくなかったことが書かれている。多少の差異はあれどやはりゲームやネットに関する人間関係はこのような性質を帯びてくるものなのだろう。いや、ゲームやネットに限った話ではないのかもしれない。
一言で示すと、僕は面白い人と仲良くしたい。僕のある種女性的とも言える性格あるいは嗜好が僕の人間関係の範囲を絞っているという点もあるとは思うが、とても非道なことを言うと僕は周りの人間にあまり面白い人間がいないと感じている。めちゃくちゃなことを言っているが本心はそうだ。
あたかもおれは面白いんだ!みたいな発言だけれど無論そのようなことは無い。まぁたまに1ミリくらい思うけど。僕は面白くない。面白くない人のところには面白くない人が集まる。自業自得ではある。でもやっぱり面白い人と仲良くしたいのだ。
個人的な感性やツボでしかないわけだが、実際僕は面白いと感じた人のコンテンツを貪るように鑑賞する。それは対人関係でも同じだ。リアルでも結構偏愛してしまう方だ。実力至上主義とも言える。
僕は自身の対人関係について思うことの一切をここに記した。元来書きにくい性欲についても触れた。
これを読んで「こいつキモいな」と思えば、あなたは僕との距離をとるべきだし、そうしてもらえるならばこの文章は十分に役割を果たしている。
あるいはここまで読んで、僕が純粋に友好的に接したいと思っていることを了解してもらえる場合には、どうか仲良くしてあげてほしいと思う。
一言でまとめると、
君たちのユーモアで余を満足させよ。
それじゃあまた。