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【日記】発話にフィルターをつけて 2022.6.24
軋轢のある日だった。
詳細には語らないが、僕はしばしばダブスタによって詰み状態にされる。そして過去のことを言及される。
僕は僕の人生について人に思わずこぼしてしまうようなほどの後悔はしていない。なのに親は過去のことについての選択しなかった道に行っていたifのことを語りだす。その選択が良いものとも限らないのに。過去のことを今言ったところでなににもならないし、その選択をとった僕の意思は尊重されないどころか僕という存在を否定されているといっても過言ではない。
この話には際限がないし、50歳の人間の思考方法を変えるなんてただただ面倒であるし、なによりおもしろくないのでここでやめておく。
僕はそんなハラスメントにちかいものを受けてくたくたになった。僕はその後知人と飯に行く予定だったのに最悪の滑り出しだ。
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銭湯はいい。
特に言うこともなくいい。
このあたりから鼻炎症状がひどくなって最悪になった。
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バカのかき氷。
話をしながらも鼻炎が酷すぎてきつかった。実家ってやっぱりクソです。
将来について考えない日なんてここ最近ないわけで、かたちはどうであれ僕は随分苦しんでいる。焦燥感に駆られている。それなのにその種類の叱責を浴びせられるのは本当に馬鹿馬鹿しい。単位のこともよくわかってないやつにそんなことを言われるのだからたまったものではない。
人が物を言う時には自身の浅はかで風化した経験を基盤としてしまうようなことは避けることが大事だと痛感した。そこには大きなギャップがある。
昔から親は細々とした箇所で他者との差異を生み出そうとする(例えば取っていてもいなくても同じような資格の有無など)のだが、僕はそういうような出し抜き方は好きじゃないし、なにより費用対効果が悪い。僕に自由にしろとある時は言いながらも結局自由は与えられていない。僕は憤慨している。明確に僕はスポイルされている。
また暗いことを書いてしまった。
ただ実際に外から僕を見たときにはそれほど深刻なものではないのであまり気に掛けないでほしい。世にはもっと劣悪な親が存在する。僕は特に母親を深く軽蔑しているが、それは母親の一側面であるし、軽蔑する程度で済んでいる。
感情の強い起伏の伴うコミュニケーションが本当に嫌いだ。インターネットもすぐに感情が先行して他者を蔑む、皮肉るような性質があるが、僕はそのようなことの無意味さを母親との対話によって知った。言葉にまとわりつく色は対話の本質を失わせる。普通のトーンでゆっくり考えて話せばいいのに、短絡的である。僕はそういう人たちと話をしたくないから、なるだけ人との距離をとる。どうにも感情部分を排して対話することのできる人間は少ないようである。インターネットを見るに。
書きながらいらいらしてきたな。
いやすぎる。
これは俺の物語だぞ。口出しするな。
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素敵だね。