発達障害的な自身の性質についての思案
自分はアスペルガーなんだろうな、と思ってしまうような事象が日々あるので、それらを列挙しつつ、その症状が僕の人生をどの程度損ねてきたのかについて考えてみる。
私は司書をしているが、2024年4月16日の私の仕事上のミスはとにかく酷いものだった。
まず、新しい班に移行したことで仕事内容が少し変わったのだが、そこで教えられたことをメモとして記録することができない。
メモをとる気がないというのもあるが、なぜとる気がないかというと、メモ自体を紛失する、見ることを忘れる、文として記録するとなるとノート一枚分ほどきっちりと書きたくなってしまうという原因が挙げられる。
兎に角メモできないし、見ることも出来ない。Notionを使おうと思って気の向いた時にメモしても、半年は見ない。
仕事の分からないことを聞くのが苦手で、そのままフリーズしたり、かと思うと勝手にやったりして、ミスをする。
忘れ物をアナウンスするのに、枕としての「館内のお客様にご連絡致します」的な適切な文句が浮かばず、いきなり「映画を見る部屋にメガネの落し物がありました」と言ってしまった。
仕事の覚えが悪いというか、常に怯えている。
図画工作の授業でラジコンを作るという機会があり、キットのようなものを順番に教室の前まで取りに行くことがあったが、自分がキットを手にしていいのかわからなくなって、最後までキットを取らず、みんながパーツを取り出したりする中、一人で机を見ていた。
注意欠陥も酷い。
今朝は開館準備という割に仕事量の多い役割をすることになり、PCを起動して周ったりしたが、三つくらいしなければならないことを忘れていた。
昔から計算ドリルや教科書、文房具を忘れたり、小学生のテストで毎回100点なのに最後の問題を解き忘れたり、中学生の頃には数学のテストで名前を書き忘れて0点になったりした。名前の書き忘れは0点にするぞ〜とよく言われていたものだが、実際に0点にされている人は自分以外見たことがない。多分愛想がないから0点になったんだと思う。反抗もしないので、そのまま0点になった。
実家に下宿先の鍵を忘れて親に下宿先まで来てもらったり、急に走りたくなって夜中に往復10kmほど走って帰って来たら鍵がなく、夜道を探したら丁度折り返した所に鍵を落としていたりした。
枚挙に暇がないが、診断こそまだ受けていないものの、ほぼ間違いなくASDやらADHDやらの類に該当すると思う。精神も腐っている。鬱だと思う。でも鬱も常態化しているので、よくわからない。
一番よくないと思ったのは接遇講習の説明があまりに嘘すぎると思って発狂し、おまけに筆記具もちゃんと忘れたのでプリントに何も書かず、「何も書いていない人がいました。普段どういう態度で接遇をしているのでしょうね」と講師に言われる始末である。
露骨に社会が向いていない。
対応する元気もない。
面倒なら死ねばいいという選択肢が卑近に存在するために、焦ることもできない。
ただ向いていないことをしている。
精神科に昔から行きたかったが、親にひどく反対されたため行けていない。
精神病患者や発達障害者にしたくない、捉えたくなかったのだろうけれど、中学生の頃とかにでも対応できていれば、もう少しよかった気がする。
ただ他責していても仕方ないので、もし良い生を送りたいのであれば僕は社会に順応する術を会得するなり、適した仕事を見つけるなりするべきだ。全部僕が悪い。
あと、うんこもよく漏らす。