【日記】おしまい 2022.9.6

ひどい強風が窓に体当たりし、窓の隙間からは微妙に人を不愉快にさせるノイズが発されている。

午前2時、僕はあらゆるインターネット上での表現というものを一切やめてしまうことにした。


理由は明瞭だ。


つんつるてんだから。


これに尽きる。


僕には才能など、なかったのだ。小指ほどさえも。


自分の才能を測るにはまだ早いだとか思う人もいるかもしれないが、現時点で発揮されていない時点で僕には才能など無いと言っても過言ではない。

実家が太かったり、楽天家だったりして、バイトしながら好きなことして自分を磨け!みたいなことをさせてくれるなら、才能が花開くこともあるのかもしれない。
が、僕はそういった環境にはない。断っておくと、そのことについてなにも憂いてはいないし、僕の家庭環境自体は比較的良いものだったと感じている。


才能というのは、そういう意味では金や環境によって掘り起こす機会を増やせる。つまり、才能は優れた(あるいは都合の良い)環境にあることによってその発現可能性が上がるわけだ。

僕はここで言う「優れた環境」にはなかったわけだが、一方で悪い環境にいたかと言うとそんなこともない。

時間は十分にあったはずだし、才能があればそれを発見するだけの環境も最低限は設けられていたような気がする。

それでも僕はだめだったのだから、もうここいらが潮時と判断した。



僕は絶望的に、ウケてなかったと思う。ライティング・ハイ(ランニング・ハイ的な)を迎えて書き上げた気狂い日記を僕は愉快だと思う一方、同時にとても冷笑的にそれを見ていた。

僕が心血を注いでなにを書こうとも、別に「おもしろかったです」の一言すらもらった記憶はない。少なくとも直近三ヶ月は間違いないし、それ以前にしたって本当に心から述べているような熱量のあるメッセージみたいなものはなかった。当たり前だが。


僕は普通に人間をすることの偉大さを痛感した。挨拶をして、明るく振る舞い、礼節を重んじる。それさえしていればどんなに才能がなくっても、最低限の交流の輪は形成することが出来る。僕はそれを半ば犠牲にして、文章(などというのも烏滸がましい)を書いて「おれについてこい」的なスタンスをとった。結果としては誰もついては来なかったし、ただ石を投げられるだけに終わった。


普通に人間をしている人というのを馬鹿にしているわけではない。
むしろ、尊敬している。


なぜならその選択が最も正しいものだからだ。変にストイックな挑戦をして失敗するより、礼節を大事にして人を不愉快にせずに交わる方が再現率が高いし安定している。なにかに挑戦するにしても、そういう生き方をしながらの方が絶対に良い。

僕の才能というものは少なくとも、礼節みたいなものから外れた領域においても頭角を現すだけの強度がなかったのだ。

普通の振る舞いをして生きていくことによって得られる諸要素──自己肯定感、承認欲求、交流、他者評価──の量に、僕のこれまでの行動によって得られたものは呆気なく敗北した。


僕のこの思考排泄日記には、他者にちょっとしたメッセージやフォローボタンを押させるだけの訴求力はなかった。これまで無縁の広大なインターネット上の人間はおろか、それまで交流のあったフォロワーにさえ、僕の日記はそれをさせることができなかった。


正直、日記を継続していくことはそれほど難しいことではないし、やろうと思えば1000日だって続くだろう。

だが、続けたところでなんだというのか。それだけ続けて見向きもされていない日記など、この世にはきっと腐るほどある。


そういうわけで、僕はもう日記などさっさとやめることにする。

少なくとも今の僕にはまだ早かったのだ。反応がないと、僕にはネットに日記を上げるなんてちょっと馬鹿馬鹿しくてできない。

最後に断っておくと、僕が日記をやめるのは言うまでもなく僕に才能がなかったからだ。かつてのフォロワーや自身に交流関係のある人間が悪いと言いたいわけではない。僕や僕の書いたものには彼らを動かすだけの力が無かった。それだけのことだ。







いやまぁ、もしも激烈な応援メッセージが来たら続けるかもしんないけどさ?

もし来たら、の話っすけどね??


でも、もしそれを送ってくるだけの熱がある場合ってもっと宣伝とかしてくれる気がするんですよ。

つまり、そんな瀬戸ファンボーイなんて幻想ってことさね。


だからやめるって言ってんのよ。


僕にしたって、元は極めて真面目だったし、礼節も重んじている人間だったと思う。学校では挨拶もしていたし、真面目な子供として認識されていたと思う。

でもそういう振る舞いに欺瞞を感じて、僕はそれのアンチテーゼとなるスタンスをとっていたわけだ。礼節重んじてもいじめられる時はいじめられるし、真面目にやるだけ馬鹿を見ると思った。

でも結局は、反対方向に行っても冷や飯を食うことになった。どっちに行ってもあんまし良いことはなかったわけだ。

いつかにした振り子の話のように、僕の生のスタンスはローとカオスの両端の位置まで振れた。今度はそこでの体験を経て、ニュートラルに落ち着こうとしている。なんだかそういう感じがする。

僕は140日程度の間日記を続けて辞めたというこの経験を、決して美談だとは思うことはない。できればこんな経験、無い方が良かっただろう。今はもう受け入れてこそいるが、僕はこの日記に大いに悩まされ、また傷つけられてきた。



まぁさ、どうなるかなんてわかんねーけど、ここまで読んだ人間には取り敢えず2022年9月6日(火)午前3時6分の僕は日記をやめようと思っていたということさえ、わかってもらえれば良い。
僕は寝たら色々すっ飛ぶから、この感覚が翌朝になって失われ、次の日もまたのうのうと日記を続けている僕を想像すると怖くなったので、深夜に僕はこの文章を書いたのだ。



激烈なやめないでメッセージなんて来ない。そんなことはわかっている。自分のペニスの曲がり具合と同じくらいわかっていると思う。


でも僕はどこかで、期待している。自分のペニスが思った以上に左に歪曲していることを、期待してしまっている。
あれ?おいらのちんちんこんな曲がってたっけ?(笑)となることを、僕は心の片隅で期待しているんだと思う。


でも、来ないんだよ。


ドラえもんは、帰ってこないんだよ。



日記なんて大嫌いだ。





楽しんごなんて、大嫌いだ。

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