日記を100日書いたら、呪われた。
1日1000字程度の日記を、100日間更新し続けた。
2022年4月12日から始めた日記だが、気づけば100日が経過していた。
今日において、noteで日記を長期間つけている人間はさほど珍しい存在ではない。誰も頼んでいないのに、みんな日記をつけている。
日記を書くという営みに対しては肯定的な意見もあれば否定的な意見もある。
本稿では、100本の日記を書いてみての感想と、日記を書くことの意味と妥当性について述べる。
・書く労力
日記を書くこと自体は思ったより、面倒くさくなかった。
僕の場合は普段から思考が脳内で氾濫しているので、それを適当に整えて文章として出力するだけで日記になった。
堪らなく面倒くさくてもう本当にしんどい!首括って死ぬ!みたいなことにはならなかった。
ただ日が経つに連れて、日記を書く意味性に幾らか揺らぎが生じ始めていた。
・日記の妥当性
単刀直入に言うと、日記は読まれない。
Twitterなどで人望のある人や、なにか別のコンテンツでウケている人でない限りは、日記など読まれない。
よく知らない奴の日記よりも面白いコンテンツというのはこの世に腐るほどある。
なので閲覧数を稼ぎたい場合にはほとんど最悪の選択であると言えるかもしれない。タイトルに「日記」の二文字を入れた時点で読み物としての価値が低下するように感じる。
記事として質が高く、需要のあるものを書こうとする場合は、毎日の日記とは別に記事を設ける必要がある。
だが、日記を毎日書いていると、日記を書いた時点で満足してしまいがちだ。これが日記という習慣が持つ最大の罠で、半端にアイデアを消費してしまうことになる。
日記は、個人的なことが記された読み物だ。
インターネットに無数に転がる知らないやつの日記など、読み物としての価値が最も低いと言える。
そのような魅力のない読み物にネタを消費してしまうというのは、もったいない。
どうしても日記を書いていくのであれば、別の記事で同じようなことを再度書く覚悟を持たなくてはならない。これが結構しんどい。
なのではっきり言ってしまうと、日記など書かなくても良い。書かない方が良いまである。
・日記は読まれないが、読まれる
繰り返すが、ネットに公開された日記は極めて個人的なことが叙述された読み物だ。
インターネットに公開していない日記であれば、あまり配慮することなく色々書くことが出来る。しかし、ネットに公開してまがいなりにも読み物になっている時点で、ある程度内容についても意識しなくてはならない傾向にある。
ここでは割愛するが、ある表現を誤解して受け取られて、反感を買ったことがある。
表現についても日記とはいえ結構気を配らなくてはならない。
さらには、単なる弱音でさえ書くのがはばかられる。日記であるにも関わらず、本心を書けないという状況が、起こる。僕の日記はそんなに閲覧されてもないのだが、それでも結構凹むことを言われる。
こんなことを言われたりする。
泣いちゃうよ、普通に。
テクストの向こうには、その文字を打ったオタクが居るんですよ。
あと、僕の今後についてをお前が決めてくれるな。
生言うなよあんまり。
これは珍しいことなのかもしれないが、僕が日記を書いてから貰った言葉の9割が攻撃的な意見だった。嘘でしょ。
日記を書いて肯定的な言葉を受けた記憶がひとつもない。
なので、正直心労が絶えなかった。
上のメッセージへの反論も長々書いたのだが、本筋から逸れるので泣く泣く消した。命拾いしたな。
以上のことから、僕が100日間の日記を書いてよかったことなど、なにひとつとしてなかったと言える。
・でも書いちゃう
良いこと、なんもなかった。
批判を受けるのにも疲れて、Twitterアカウントを移行した。これまで受けた批判からは学ぶこともあったけれど、生真面目に受け取っていたら自責を続けることになって死んでしまうと思った。しかもそれで内省的な姿勢を示すと、今度は卑下している様を不愉快だと言われる。ハメじゃん。
あとなにより、僕の文章を読んで人をイライラさせることが申し訳なかったのでアカウントを変えた。
ここまで日記の振り返りをしていたら、日記をこれ以上続けるのがかなり嫌になってしまった。
小見出しに「でも書いちゃう」と記しているけど、今からでも「もう無理」に変えようか悩んでいる。かなり辛い。
アカウントを変えたらフォロワーは100から10に激減したし、本当に僕の日記など、誰も読んでいないのだ。理由は、僕が面白くないから。戦略がないから。
もし、今から日記を書こうかなと思っている人は慎重に考えた方がいい。日記は呪いになる。
現に僕は、日記をたまらなくやめたいと思いもするが、反骨精神と日記を続けてきた時間というサンクコストに囚われている。
日記は、読まれない。人望があったりある程度名のあるクリエイターやインフルエンサーでない限りは、日記から頭角を出すなんてのはかなり厳しい。無名の人間の日記など、土塊に過ぎない。
なのに僕は続けてしまう。
やっぱり文章を書くというのは面白い営みであるし、自分の思考を言語化してまとめるのはすっきりする。日記の習慣はほとんど排泄のように、必須なものになっていった。
結果として、僕は伸びる記事をしばらく書けていない。2年前に書いた記事が一番伸びている。結局実用的である意味つまんないやつのが伸びたりする。日記を書いても、身につくものはそれほどない。
忠告しよう。日記など書くな。
逆張り精神が悪さをして、もう僕は日記を書かずにはいられないのだ。
手遅れになる前に三日坊主になるか、記事のひとつひとつに注力するスタイルを取ろう。
日記に呪われた僕は、面白くもない、読まれもしない1000字超の文章を書くのだ。
毎日、欠かすことなく。馬鹿みたいに。