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夾雑物ごった煮ガチャの汗と涙の結晶(旅人バザー売値:1620G)

以下の文は、リビングを猫に占領された実家で猫アレルギーを持つ僕が鼻炎により回らない頭によって書き殴る、特に用途のない思考です。

この文章には特別強い感情などは含まれていません。
というのも、言葉にまとわりつく感情的なものが会話や意志の伝達を阻害することを昨今痛感しているからです。なるだけ感情的な部分を削ぎ落として考えたり書いたりしようと試みています。


詳細には語らないけれど、僕は母親と正常な会話ができなくて、そのために多大なストレスを互いに抱えることになる。

これに対しての結論は──残念ながら相手のコミュニケーションの癖にかなり問題が依拠しているので──宥めながら受容した上でこちらの言葉をていねいに述べる、というもので決定した。
あとはもう、なるべく喋ること自体を避けるといったところだ。

まぁ、こんなことはどうだってよくて、僕が実家への帰省によって強く再確認させられるのは「立ち回り」という概念の重要性である。

「立ち回り」は実家という現実に根付いた環境から、インターネットという環境まで、あらゆる場で要求される。

僕はしばしばこの「立ち回り」について考えてこそいるのだが、僕の「立ち回り」はかなり良くない。

社会的な場での立ち回りは割によくできてると思う。僕はほとんどの場合、他人に興味が無いから誰とも関わらないし、それで問題なく回るような動きをしている。

実家では自己決定権の剥奪と否定を繰り返されることによって僕の精神状態はかなり悪かったが、ぎりぎり耐性を得始めている。冒頭示したような結論を携えたように。

ネットではどうか。言うまでもなくここでの「立ち回り」が僕は実家でのそれに次いで下手だ。

自分のネットでの「立ち回り」が如何に下手かはもう散々書いたので割愛するけれども、僕がここで着目したいのはインフルエンサー的な人間の「立ち回り」についてである。

僕は最近、スマブラを割にやっていたのでスマブラ関連の動画をよく見ていた。それである程度プレイヤーの存在を知るようになった。

結構いいんじゃないかと思うプレイヤーがいたので、彼のSNSや配信などに目を通していたのだが、ところどころ危ないことを言っているなと感じた。

ばかなことをするような人でもないと思うし、上手くやっている方だと思うのだけれど、それでも割と幼い印象を感じた。

無論、僕のような無名な人間はその無名性によって大いに助けられている部分があるだろうし、彼のことを批判するような気持ちはまるでない。

ただ、「立ち回り」に粗が見えると少しだけ、僕の目に映る彼の像に影のようなものが落ちてしまう。
しかし疵がつくことにしたって、それほど問題もない。むしろその瑕疵によって人間性みたいなものが表出してくるとも言える。

ただ思うのは、公においてはなるだけ自分という存在を「つるつるすべすべしたもの」として認識させておいた方が、都合が良いということだ。

つるつるすべすべしている、ということはつまり、ほんのちょっとの切っ掛けさえ潰すということである。

なんの気ない言葉が誤解を招いて、想定もしていないような感情を、他者が読み取ってしまうことがある。
そのような誤読を回避するためにも、なにかを発信する場合には可能な範囲で言葉にヤスリをかける必要があるんじゃないかと思う。

言葉をヤスリがけしてつるつるすべすべにして放つことに留意して、今後を過ごしたいと考えている。


でもよ、つるつるすべすべにしたらよ、ほんとうに言いたかったことが損なわれるのでは?


そうなんだよなぁ。ほんとに。ほんとにそう。

だから、ヤスリがけはある程度しつつも、自分の意思が決定的に損なわれたりすることはないくらいの度合いに留める必要があるんだよね。
つるつるすべすべが過ぎると、本当に引っ掛かりがなくて「何も無い人」になっちゃうし、つまらない。



そうだなぁ……






もしかすると、ちょうど「マッサージとかに使う木(ほんとに木なの?)のブロック」くらいのつるつるすべすべ感くらいが丁度いいのかもしれないね。




きっとそうさ。





そうにきまってる

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