【超・日記】超・日記 2022.9.4
おもしろいこと書かなきゃ・・・・・
おもしろいこと書かなきゃ・・・・・・
おもしろいこと書かなきゃ~!!!
日記ってのはさ
そいつにある程度の価値みたいなものが認められているからこそ
初めて有用性を持つようになるんじゃねえの
とどのつまりは、
無駄ってこと。
これ、今まで書いてきてましたけど
全部無駄ッス。
巨大な文字糞パックを毎日、ボランティア活動が如き誠実さを持ってして行っていたわけです。
おしまいだ。おしまい。
ウケてねえしさ。
なんすか、毎日書いてはカスみたいなゴミ乞食スカスカのぺらっぺらアカウントに乞食いいねされるだけ。
うんちにたかる蝿ですあいつら。
日記でウケようなんて間違っているのか。
ウケる、というのとはまた違うけど、なんとなく継続して読みたいと思わせるだけの文章というものを企図して書くことはだめなのか。
結論を言うと全然だめじゃないです。
だめって言ってるのはもうひとりの僕だけ。
自意識というもうひとりの僕を半殺しにします。
本当に毎日、身の回りのしょうもないことを連ねているだけではよくない。
その身の回りのことを、拡大解釈し、大袈裟に受容し、半狂乱で打ち込む。
それが僕がこれから書いていく『超・日記』だ。
いや、「これから書いていく」じゃない。
「これまで書いてきた」だ。
ただの日記じゃ、だめ。
『超』じゃないと。
『超』だじょ。
これから書いていくものも『超・日記』だし、これまで書いてきたものも『超・日記』だ。
『超・日記』、開演(はじ)まります・・・・・・。
・・・・・・あにょ~(オードリー若林)
すみません。
途中まで今日のことを幾らか大袈裟な感受性を持ってして叙述したんですけど、
400文字くらいから一気に失速して、なにやってんだろうって気分になっちゃいました。
なんか別に、全然おもしろくなかった。
目に映る事象を自分の精神の濾過装置を通して別な視点から捉え直すという作業が大事であるには変わりないんだけど、読み手を意識して元気のある感じに演出するのもまた違和感があるし、それを日記でやるのってかなり疲れる。
疲れるのは書き手側もそうだが、読者にしたって結構疲れると思う。
明るげな文章で快活に進んでいく日記というのは、幾らか冷静さを打ち捨てる結果となる。
他者を批判するようなことを書くことだってあるわけだが、勢いのある、テンションの高い文章でそれをやるとかなり荒っぽく、詭弁の混じるような感覚があった。
コンビニ行ってスプラトゥーンしてぼーっとしてただけの日を、無理に誇張して描くというのはあまりに嘘過ぎる。
嘘の塩梅が大事。
嘘は攻めても4割。それ以上は危ない。
テンション高めが良いときだって無論あるわけで、過去にそういうもの――この文章の冒頭の表現を借りれば『超・日記』だっけか――は書いたこともある。
ただ、使いどころは選ばないといけない。
あと、シラフじゃこういう文章は書けない。
もうすっかり覚めちゃったかも。実際シラフじゃないときに書いたものには勢いがあって、ある意味面白いものもあったと思う。
けどそういうものをシラフの人が読んだ時に面白いかどうかというのがちょっとわからない。その辺のバランス感覚というか、自己への審美眼みたいなものというのはかなり身につけるのが難しい気がする。
初期衝動の偉大さというのを常々感じるわけだが、それが尽きる日のことを想像するとちょっと怖い。この日記にしたって、4月半ばから急に始めた時の衝動を元に今まで続けてきている。
日記で日記のこと書くの、もうやめたいな。
ハローワークの職員がハローワークのカウンター業務の求人を提供しているようなものだし。
それをずっと続けると、ハローワークの窓口に横一列、職員として夥しい数の人間が並ぶようなことになる。
そんなのって破綻してるし、明らかにおかしいことだ。
こういう短編小説、ありそうじゃないですか?マルチ商法やネットの儲け話を風刺したようなこの様相。
おい。
お前。
パクんなよ。
絶対パクんなよ。
これ、僕が思いついたんだから。
許さないからねこれで芥川賞とか獲ったら。
どうも~♪
女子大生noterの瀬戸文香です❗❗
今日はセブンイレブンに朝食を買いに行ったんだけど、スプラトゥーン3の一番くじはやっぱり人気だったみたいで、もう売り切れちゃってました><
ショック(´;ω;`)
今日は日曜日!ということで、どうしてもお菓子が食べたい~!と思ったのでスーパーでお菓子を買ってみました♪
私キットカット好きなんですよね~❤(聞いてないw)
ということで今日はここまでっ!
明日も是非是非、瀬戸文香の『気分上々↑↑ 超・超・日記』をよろしくお願いします❣m(_ _;)m ペコリw