【日記】淘汰の順番と性質 2022.5.26
なあんも書くことがないよ。
いい加減、論文しないといけなくなってきているので、集中しなきゃ。
マックはダメだとわかったから、コメダにいかないと。自転車またパンクしてるだろうけど。
何ヶ月か前に空気を入れてもらってから少ししか使ってなくてもう空気がなさげなので、また空気を入れてもらいに行くのに申し訳なさがある。
コメダに行こう。僕はしっかりなにかするにはもうコメダがないとだめだ。
人にツイートをいいねされてもそれほど喜びなんてないんだけど、普段あんまりいいねしてこないような人で且つ僕が勝手に一方的な羨望に近い眼差しを向けている人からいいねされた場合は結構うれしかったりする。
おっ・・・・・・ほひw
となる。
僕は日常におきる出来事を大げさに捉えて一喜一憂したり人に話したり、現象や景色に暗喩を見出したりするんだけども、まあ凡そのところそれが文学なのかなと思っている。なにかを示唆するために日常的な事象や一見奇妙で非現実な事象を描写したりするわけだけれども、逆に現実で起きる日常に対して意味を見出すということも可能であるし、前者は後者によってはじめは作られていくものであるように思える。
孤独について。
仲良くしたい❤して❤❤と思っていてもまるで表に出せないし、実際にはそんな媚び媚びなわけでもないのでず~っと僕の輪は広がらない。ましてや仲良くしたいと思っている人の数は少ないから、その人のいるコミュニティに入っていって、そこにいる興味の薄い人と関わりを持つのは負担になる。
僕の排他的姿勢は関わる人間の選択を早期にしすぎているよくない例だ。
きっとまずは適当に懐に入れてみて、嫌だなあと思ったら削っていき、いいなと思う人とだけ関わるというのが効率的で妥当なコミュニケーションの輪の広げ方なのだろう。削ると表現したが実際には単純にずっと意味もなくFF内だったりというかたちで放置するのだろう。
僕はそれに辛抱たまらず、リムーブしまくる暴れ馬となる。いらね~~~~~~~~~~~~~~~となって断捨離する。
中学生の頃に、断捨離について説いている音声があって、それを親がitunesに入れてて僕も聞いてたんだけど、なにかの拍子に消してしまって復元もできず、音源元もなくなっていたために聞けなくなって怒られたことあったな。
なんの話?
今日の夕食はカールおじさんうすしおだし味だぜ。臼歯にこびり付いて最悪だぜ。
あと、TFTで床ペロしてます。マーセナリーとか無理にやって負けたりした。わしゃこのゲーム下手じゃよ。トホホ・・・・・・
ジャコビ。