【日記】僕はシャンクスになれない 2022.8.16
やる気がまるで起きない。
日記を書く意味が、かなり薄れてきてしまっている。ある程度の期間続けてみることによって好奇心みたいなものが満たされたのだろうか。
日記を書くことに伴う億劫さとは、単にタイピングすることの労力や内容を決める煩わしさ以外にも存在する。
僕が日記を書く時に最もストレスを感じるのは、日記によって今の自分を顧みることを要請されるという点だ。その日のうちに一定の強度を持った出来事があれば事足りるが、そうでなかった場合、漠然と自分やそれを取り巻く環境について回顧することを要求される。今のところ特に結果も出せていない怠惰な自分を見つめるのはなんとも苦しい作業だ。
日記をこのタイミングで止めるというのは、実は結構恰好の良いことなんじゃないかと思っている。四ヶ月ほど続けたこの習慣に囚われることなく、日記をさっと辞めてしまう。
創作上のキャラクターが、特に躊躇もなく自身の腕を切り落とす選択をするシーンってかっこいいじゃないですか。
片腕、切れる、躊躇しない……。
それって......
赤髪のシャンクス?
ええ、赤髪のシャンクスです。間違っても、ともじゃない。
ここで日記を、ぷつりと辞めてしまうことができれば僕はシャンクスに匹敵する人格者になれると思うんです。
社会「…だってよ…!!!…………………!!!ぜど……!!!」
社会「思考排泄日記が!!!」
せと「安いもんだ。マガジンの一本くらい……」
そう言って日記という腕を欠落し、社会に迎合していくような道が恐らくは正しい。社会に迎合することは避けられないし、それは日記を書いていてもいずれなされることではあるのだが。
社会への迎合に視点を置かずとも、なにか創作的営みに使う時間を増やすことができるはずなので、やはり日記をある種の悪しき習慣として捨て去ってしまうのは適切であるようにも思える。
でもな~。
普通に全然、片腕が惜しくてたまらないんですよね。
僕がある程度好んで、ここまで能動的に進めてきたことってそんなに無い。
日記は一応習慣としてかなり身についてきているし、アウトプットの場になっていることは確かだ。それにアウトプットの習慣を持つことによって、より高次なアウトプット(小説執筆等)の質向上や、モチベーション維持に繋がるのではないかと思うわけです。日記をやめる理由も続ける理由も滾々と湧き出てきます。
結論を言うと、僕はシャンクスになれない。
ここまである程度の期間続けてきた日記のマガジンを終わらせるのはなんだか気持ちが悪いし、もっと続けることで自分の小さな自信になればいいなと思っている。
あとどういうわけか、世には僕の日記を楽しみにしている人間もいる。数は少ないけれど、僕は彼らのためにもなにか提供しなくてはならないような気がする。自分の考えや気持ちみたいなものはやはり、日記でないと伝えられないことが多い。
日記がもっと読まれればなぁ、と思ったりする。僕は結構承認欲求は強い方だし、ここまで力を割いているのだからもっと読まれたいというのは隠せない欲だ。少なくとも僕はそういう欲をガソリンにしてなにか書くといったことができるし、それを否定されるとちょっと立ち行かなくなる。
もっと読まれるにはよりキャッチーにしていく必要がある。できるだけ面白いことを書いていることが伝わるようにしていかなくてはならない。
だからと言って、誇大した表現や耳目を強制的に集めるような言葉を悪用したタイトルの設定などはしてはいけない。モラール(良識)を欠いてしまっては意味がない。僕はそれらを欠いたインターネットが嫌いだ。
自分にとっての悪となるような言葉や表現、振る舞いは避ける。でも面白くやっていかないといけない。
つまりは、
表現のギリギリを攻めろ アテンション!危ないぜ 限界越えて。
最高のフェアリーテイル 歴史に刻め 完勝の瞬間を見せつけるために
アーユーレーディー?くぐもった迷いなど捨て
バベルの階段をあがれ