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【日記】社会的おべっかへの嫌悪と反発 2022.6.26

帰ってきた。

こういうときにストローのビニールを映しちゃうとこに配慮のなさが出ちゃってるんだろうな


ドトールがあったので気の迷いでタピオカを頼んでしまった。
薄々気づいていたのだが、僕はタピオカがダメというよりはロイヤルミルクティー自体があんまり好きじゃないみたいだ。

二口ほどでもうギブになってしまい、タピオカはカロリーが高いからお腹いっぱいになると聞いていたので注文していなかったけど飲めそうにもないのでホットドッグを注文した。席にタピオカを置いて二回目の注文なわけだが、どうにもテイクアウトと誤解されたようで紙袋に詰められてしまった。こういうとき、「いや、こちらで頂きます」って言えない。まあまあ混んでたから遮るのが申し訳なくて結局そのまま受け取ってしまった。
全然飲みきれてないタピオカを袋に入れて帰った。

帰ったらホットドッグがタピオカのせいでヒエヒエになっていた。

タピオカ自体の食感は嫌いじゃない。ヌチヌチしている。最初全然ストローで吸えなかったのでちょっと群れにストローの先を置いて狙ってみたら今度はめちゃくちゃ入ってきてキモかった。

確かにタピオカは腹にたまる。普通の食事がテトリスだとしたらタピオカはぷよぷよみたいな感じ。ぶくぶく溜まっていく。存在しないおじゃまぷよまで降ってくる。


新しいくつ。

僕は怠惰なので最近は踵を踏めるくつばかり買う。

踵を踏んでもいいよ~って靴なんだけど外から見たらそんなことわからないので、僕が踵を踏んでいたら他人から白い目で見られるんじゃないかと思って結局ほとんど踏んでいない。踏ませてよ。

連日、鼻炎がひどかったので冥丁を聴いていた。
落ち着きますね。


ミュージシャンなんだから当たり前なんだろうけど、あの音楽性でハイテクなターンテーブルの前で音楽を披露するんだな。リアルで聴いてみたいな。すごい印象に残りそう。


目にものもらいができたんだけど、今朝から猛烈に痒くなってきた。目薬必ず一回外す。こぼす。時計じかけのオレンジみたいな目をかっぴらくためのやつを装着したい。でもあれ瞼切ったらしいですね撮影時。怖っ。

PSPLUSの乞食に成功したので配信できればやっていきます。色々やるぞ。

あと、記事書かなきゃな。


少し思ったことを書くと、母は僕にそういうクリエイティブなことをやればいいじゃないとかなんの根拠もなく言うくせして就活についても口を出してくる。

もしクリエイティブなことを応援するのであればあんまり就活を焦らせないでほしい。創作意欲って社会的重圧によって潰えてしまうところはあると思う。多かれ少なかれ、そういう社会的レールの上にあるトロッコに押し込む行為というのはとても傷つく。押し込む側の人間は押し込まれる側の人間の顔とか、営みだとかを全く見ていない。僕がどういう種類の小説や文章を書いているのかなんて微塵も知らないままに「やれば?」と言う。根拠なく人を肯定するということ自体は場合によっては良いことだとも思う。けれど、彼女は同時になんでも就職に絡めてグチグチ言ってくる。図書館司書資格を取れというが、資格を取る頃には就活末期も末期だぞ。あとその資格を並べたとしても欄に文字が増えるだけだし、それで合否が分かれたとしても僕は後悔しない。そんな矮小な要素によって僕を見るのであればこっちから願い下げだ。

なんというか、細かな部分、どうでもいいようなことなのにきちんとすることによって他者との差異を生み出そうとするという行為に僕は結構浅ましさを感じる。高校生が受験を有利に進めるためにボランティアをするみたいな、そういう薄ら寒さを感じる。

僕はそういう点数を取ることに躍起になっている社会が嫌だという感覚があるし、だからこそ文章なんて書いてみたりしているのだ。図書館司書資格という無関係な部分の「偶然表出した、社会的に保証された頑張り」に依拠する姿勢は、心底くだらない。

断っておくと、僕は就職と創造(と呼ぶには仰々しすぎるけど)の両方に努めようとは思っている。結局はやるのだ。

でも人になにか指南するのであればインターネットのことなりなんでも、ある程度知識をつけてから物を言ってほしいなと思ってしまう。

当事者である僕が一番、毎日社会と接続できていないことに焦っているのだから、他者は僕にストレスを与えるよりも、柔らかな口調でアドバイスを提示する程度にするべきだと感じる。いやもう、この際僕はもういいのだ。今僕は今後の話をしている。つまりは僕が人になにか物を言うときのことだ。
ほとんどヒステリックとも言えるあの態度を僕は強く嫌悪しているから、同じようにはならないようにしないといけない。

社会的おべっかへの嫌悪と反発は昔から醸造されている。こんなとこなにしても変わらないだろってところを昔からさせられていた。それによって恩恵を得たことはない。

具体例をあげると、中学生のころに英語のノートにはプリントを貼るということをしていたのだが、プリントの貼られたページの裏に英単語の練習を書かさせられていた。

このイラストでわかるかな。

貼られているプリントをわざわざ捲らないと見れないとこに書くのだ。
僕の英語教師は当時はガサツなおっさん(通称:ゴブリン)だったのでこんなとこ見るわけがない。
事実、別のときにプリントの裏になにも書かずに提出しても評価は変わらなかった。僕以外にこんな無駄なことしてるやつを僕は見たことがない。

結局、僕は強い束縛を受けていることには間違いない。僕が不要だと思ったんだからもう強制しないでくれ。これは僕の物語だ。


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