【日記】ワンツースリーでチル・アウト 2022.6.28
今日は早起きして、うだうだしていた。
もはや取り立てて言いたくないほどの猛暑だったのに、そういう感覚に疎いのであまり深く考えずに外に出た。
30秒で外出を後悔した。朝食を買いにコンビニにむかっていたが暑すぎてかなりきつかった。
夏本番みたいな様相を呈してきていたので、海老マヨおにぎりと揚げ鶏、そしてCHILL OUTを買った。
CHILL OUTを買ったのは初めてだった。わりと昔からある印象なんだけどちょっと前にチルという言葉が人口に膾炙し始めて鼻につく用いられ方をしていたからこの飲料の株が僕の中で下がっていた。
味としてはフルーツ感のあるサイダーって感じだった。エナドリ感はない。ちっちゃめのサイズで200円するのでさすがに割高だなと思った。レッドブルと同じ価格設定をしている。これならさすがにレッドブル買うな。
でもなんか、かなり名前に引っ張られてしまって迂闊にも夏を感じてしまった。
紋切り型の夏だ。
ラムネがおいしい。夏の典型みたいな過ごし方をしてしまった。
おまけにceroのsummer soulを聴いちゃう始末。
大学生みたいで嫌すぎ。
でも夏は良い曲ありすぎなので仕方ない気もする。
音楽との親和性は高い。HIPHOP的なものとなると特に。
冬の曲もめちゃくちゃ好きだけど。
教室でラムネを5粒くらい一気に口に入れて頬張っていたので激キモだったかもしれない。僕はまるで認識できていないのだが僕は変わり者的なオーラがあるらしい。まったく自分ではそんなものは感じておらず自身を常識人だと信じてやまない悠(魅せますか・・・・・・・・・・・・・・・)なのだが、尽く否定されるので場合によっては好奇の目に晒されそうだと思った。
哲学の授業でそれをやっているからますます変かも。
共感できる。実際に哲学というものに触れて学んでみたとき、そこには新たな発見というものはたしかにあるのだけれども、それによって生活の中での選択が左右されることなどほとんど無い。哲学によってもたらされる影響は自身の中で完結した物事の捉え方が幾らか変容するに留まる。ただそれは見過ごしてしまうことが容易でありながらも、あまりに衝撃的なものであったりする。かなりびっくりすることではあれども、それは個人の生活を侵食してくることはない。
文学についての記事を書いているのだが、そこでは生活に還元できるということを主張の一つとして挙げていた。けど上のようなことを考えると文学にしたって必ずしも生活に還元することができるわけではない。哲学よりも還元できる可能性やその意味もあるとは思うけれど、それを主目的として文学を読むというのもまた違うというか、ラディカルすぎるなとも思う。緩やかに自分の在る場所が変わっていくような感じが文学作品の鑑賞には伴う。文学に強い教訓めいたものを見出してしまうと、手籠めにされすぎている感じがしてならない。事実小説を評する際にはネガティブな意見として「説教臭い」、「説明的だ」という言葉が出てくるので、明確すぎる啓蒙みたいなものが出てくると文学の主旨とはズレが生じるような気がする。
ラムネ食ったら頭が冴えるぜ。
では。