【日記】ゴキブリに救われた話 2022.5.20
何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安は、昨夜の僕をほとんど不能にしていた。今年の頭から続いている漠たる鬱蒼とした気持ちは五月中旬の夜の中でピークを迎えようとしていた。僕はいったいどのようにして自死を遂げようかとわりに真剣に考えていた。
僕の視線は頭髪の落ちたフローリングに注がれていた。暗い電灯に照らされた床をダンボールや衣服が取り囲み、それぞれが孤島のような恰好をしている。中学生の時分に縊死を試みたことを思い出した。それは結局のところ果たされなかったわけだけれど、それに成功していればこれまで無駄に苦しむ必要もなかったのだから、「なにへましてんだ」と中学生の自分を批判したりしていた。
依然として、僕は薄茶色のフローリングを眺めるともなく眺めている。希死念慮という大きな氷山の周囲で様々な自殺手段や過去の記憶や孤独感が渦巻き、また最近書いた記事がまるで読まれていないことへの不遇意識と自身の才覚の欠乏の自覚などが脳にべっとりとこびり付くようにして残留し、気分が悪かった。
薄茶のフローリングの上を、それよりも濃い茶色をしたなにかが横切る。ピントのズレた目を瞬かせて、そのなにかを明確に目視する。
ゴキブリだった。
なるほど、ゴキブリね。
ぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
しぬ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!たすけて!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!むり!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
僕は座っていた半壊のニトリの椅子から立ち、ベッド下にいるソレと距離をとった。助けを乞う。動悸がする。
僕は注意を払いながら電気ケトルでお湯を沸かし、さっきよりもずっと強くフローリングを凝視する。棒状の武器を探すが、ろくなものがない。仕方がないのでハンガーを手に持ち、またベッド下を見る。
情けない話だが、僕はこの強大な存在に一人では太刀打ちできないと判断して、比較的近くに住んでいる高校生の頃の知人にLINEでSOSを送った。
僕は大学生になってからは二回程度しか彼と連絡を取っていない。普通なら夜22時のこんなメッセージなど、無視するのが妥当だ。
ところが彼はすぐに返信を寄越して、今から行くとまで言ってくれた。僕はほとんど泣きそうなほど感謝し、彼の到着を待つ。
その間、僕はソレの居場所を見失ってしまった。ソレはぬばたまの闇に溶け、身を潜める。触覚の動きの気持ち悪さだけはいっちょ前だし、スキル振りがめちゃくちゃ効率的で羨ましくさえ思えてくる。最強のビルド。
彼はそれなりに距離のある道を走って予想よりも早く来てくれた。鍵を開けて招き入れる。
僕の部屋は控えめに言って死ぬほど汚かった。ペットボトルの空が散乱し、衣服を詰めた袋がいくつも置かれている。ほとんどゴキブリのアクアリウムみたいな部屋に彼は難色を示すこともなく、見失ったソレの探索を手伝ってくれた。
20分か30分、僕たちはベッドを動かしてみたりダンボールを引っ張り出したり熱湯を床に撒いてみたりした。そうして、僕たちはソレを僕が普段使っているリュックサックの下から発見した。持ち上げられたリュックサックの下からソレは這い出てデスク側の壁まで移動する。知人は持参して来てくれた新聞紙でソレを叩いた。一度叩くとソレの動きは鈍くなり、もう一度叩くとソレは動きを完全に止めた。
僕は謝辞を述べ、ソレの亡骸を捨ててからコンビニに行ってアイスと飲み物を奢った。就活の話や高校時代の頃の友人関係が依然として続いているという話を聞いた。
もっとなにか詫びをしたかったが、0時を回りそうな頃になって彼は帰っていった。
持つべきはフッ軽な友だね、とか言いたいわけではない。いやまあ結果的にはそうだったんだけど、僕にとって彼を友人と呼んで良いのかと問われると結構微妙だ。ほとんど連絡も取らないし、趣味もそんなに合うわけではない。高校時代に何故か行動を共にするようになっただけで、今考えても何故そういう間柄になったのかわからない。僕にとって彼は間違いなく都合のいい存在だった。ちょっとよすぎる。怖いくらいだ。
でも、僕はそのゴキブリとの対峙によってほとんど消えかけていた人間関係の再確認(あるいは再結合)ができたし、熱湯をぶちまけて部屋を掃除することになったし、漠然とした建設的でない愚かしい思考、苦悩が突風みたいに吹き飛ばされることになった。
不明瞭な未来への動きのない思案は、眼前の輪郭を持った脅威によって掻き消されたのだ。
それはとても疲れたし、気持ちも悪かったし、寝る時もちょっと怖かったけど、うじうじとなにも進まない、解決する気のない自傷的な苦悶から一時的に覚醒するような感覚を得ることができた。僕はある意味ではゴキブリによって救われてしまったのだ。
実際に見るゴキブリは村上龍『限りなく透明に近いブルー』で描写されていたゴキブリよりも圧倒的にそこに在った。クオリアに迫るものがあった。
死んた件の作家も僕のようにゴキブリと遭遇する必要があったのではないだろうか。そんなに簡単な悩みでもなかったのかな。
こういう出来事があっても、やっぱり時間が経てば再びあの漠たる不安が押し寄せてくる。
ただ少なくとも、冒頭に記事のURLを埋め込む宣伝をするくらいには正気と楽観とを得ることができたと言えるのではないだろうか。