【日記】おおきく振りかぶるな 2022.7.19
朝9時くらいから13時くらいまで寝て、でぇがくに行った。
僕は大学と言いたくないので、今後はでぇがくと言わせていただく。僕はでぇがくせぇがでぇきれぇなのだ。
昔はでぇがくせぇになるなんて物凄く先のことだと思っていたのに、もうその最後の期間にあるのだから、時の経過に戦慄せざるを得ない。
ちょっと悪いことを書く。
講義の後、バーベキューしましょうよぉw と教授に言っている学生が居た。
責任持てないからコロナが五類になるまでは難しいと教授は繰り返し言っていた。
僕はこの手の学生が苦手だ。言葉を選ばなければ、本当に大嫌いだ。そんなに面白くもないことに時間をとって挙句リスクまで伴うことを、なぜしないといけないのか。やることがバーベキューというのも月並みだし、他の営みよりもさらなるリスクがある。しかも謎に引き下がらない。一回で引き下がれよ。
彼らが無駄に時間をとったせいで僕がしたかった話をすることができなかったし、最悪だった。僕はなるだけ人のことを好きでありたいのだが、彼らを好むことはちょっとできないだろう。
愚痴はこのくらいにしよう。書くか悩んでたんだけど、これを叙述しないことには日記としてのアイデンティティが損なわれるような気がしたので、書いた。そういう光景に対して本当の無関心を貫く姿勢が僕には必要だ。外部環境に左右されすぎる性質を直したい。
20時くらいに寝て、3時に起きた。
お腹が空いたのでコンビニで焼きそばを買った。
僕は夜でも電気を点けない。lainみたいな生活を地で行っている。暗闇をディスプレイの明かりだけが貫く空間というのは、とても心地いい。
全然違う話をするけど、コミュニケーションや読み物において「ぶってる」ことが露見しすぎると、あまり良い結果にならない。
作りすぎた喋り方をする人というのが一定数いて、それを聞くとなんだかむず痒くなる。ゼミにそういう喋り方の人がいて頭蓋骨の内側をくすぐられているような感覚に苛まれる。
アナウンサーや役者の話し方というのは、「ぶってる感」が解消されている。
とてもはきはきとしていて聞き取りやすくもあるが、それでいて自然でもある。その塩梅が上手いのがプロであると感じる。
記事などの文章においても、同じような感覚が見られる。文章の臭さは多岐に渡る。
気狂い的な演出をする文章というのは、とても扱いが難しい。アマチュアのそういう種類の作品を多く見てきたが、読んでいて恥ずかしくなることがしばしばだった。昨今ユーザーのイラストの無断使用などで話題になっている小説を投稿できるサービスは、そういうものの宝庫になっていると思う。
アマチュアにしみついているこの「臭さ」は、なかなか取り除くのに苦労する。詩などは特に大変だと思う。
自分で書いててもこの臭さを感じてしまってなんとか消臭するのに、人に見せてみると今度は別の臭さを読み手が感じることになる。
オモコロイズムを安易に取り入れて面白い記事を書こうとすると、中学生の頃の小説を馬鹿にできないレベルのキツい記事ができる。過去を黒歴史と語る現在が後の黒歴史となることを危惧するべきだ。
兎角、おおきく振りかぶるな。自然体でいよう。奇抜なレトリックは諸刃の剣である。