裸一貫
スマホを手にしている状態の多い昨今、スマホもなく、手ぶらでいることは稀である。しかも公共の場で、手ぶらであれば、むしろ、不安になるような気もする。
それでも、スマホなんてない時代を生きてきた自分からすると、手ぶら、それは開放感ですらある。
こうだったよな、と。
やはり、スマホの存在はどこかにつながっている安心と同時に束縛もある。
温泉施設などで館内着に着替えて、我が身にスマホも財布も持たず、ブラブラして、ゴロゴロする。
裸一貫の状態が、いつの頃からか、きわめて珍しい状態になった。
つまり、大人になってから、いつでも、いくばくかの金銭をもっている状態がデフォルトになると同時に、90年代半ば以降、僕個人でいえば就職した2000年以降携帯を持って以来、裸一貫にはなりにくく、常にお金、携帯、そして家の鍵、この3点を肌身から離すことは少ない。
その3点を持っていなくても何も言われない。
それが、銭湯や温泉、そのような施設のなか、もしくは海の中。
ことさらに、休日にそういう施設や場所に行きたくなるのも、お湯が気持ちいいということもあるが、裸一貫になれる状態の気持ちよさもあるのではないか。