見出し画像

変わるべきは個人か、社会か、はたまたその両方か


私は以前の投稿で、「福島出身」であることを心から誇れない自分がいることの生きづらさから、一人一人が自分らしく生きられる社会を実現したいと述べました。

それについて、深掘りしている中で私はふと、障害をテーマに扱う授業で出た、個人モデルと社会モデルの話を思い出しました。

【個人モデル】
…障害者が困難に直面するのは「その人に障害があるから」であり、克服するのはその人(とその家族)の責任だとする考え方

【社会モデル】
…社会こそが障害(障壁)をつくっており、それを取り除くことは社会の責務だとする考え方

そもそも生きづらさを感じているのはその人自身に問題があり、生きづらさを抱える個人のマインド自体が変われば解決される、という個人モデル主義的な考えと、
この社会はそもそも多様なバックグラウンドが溢れており、ひとりひとりの権利が尊重され、生きやすい社会であるべきはずなのに、学校、職場、街に溢れるつくり、慣習、制度、文化などマジョリティ(健常者)ベースで作られており、障害があるから不便、ではなく、この社会の障害に対する発想や定義を改めて問い直すべきなのではないか?という考えである、と自分は解釈しています。

(※授業やネット記事の解釈を見聞し、自分なりに噛み砕いた定義なのであくまで一個人的意見であることをご了承ください、)

これはあくまで障害の個人モデル、社会モデルであるが、”生きづらさ”の観点から、私の抱える生きづらさにも共通し、当てはめることができると考えました。

私の場合▽
私:「福島出身」であることを心から誇れないことに生きづらさを抱えている

①個人モデル→自分が誇ってると思えば誇れるはず、つまり自分の思いが変われば解決できる

②社会モデル→福島=放射能、危険な場所といったネガティブなイメージという周りの価値観、考えが誇れない生きづらさを抱える要因になっている、社会全体のイメージが福島=復興頑張ってるところ、魅力などのポジティブなイメージに変わることができれば、解決することができる

勿論、私自身が生きづらさを抱えているのであれば私自身が心から誇れます宣言できるようになれば、簡単に解決できる話なのかな、と考える人もいると思います。

けれど、どれだけ発信しても、高校時代から復興について考え、震災・原発事故の問題意識の差や地域を根っこに社会問題に取り組む同世代を増やす為のアプローチを実現させても、3.11に投稿しても、自分の奥底の想いに“一人一人が自分らしく生きられる社会”を実現させたいとふと考えてしまうのは、個人でどれだけ言い聞かせても、発した時に聞いてくれる周囲一人一人が全員受け入れてくれないのではないか、とまだ社会を信じきれてないことが背景にあるのだとおもいます。

では、【どうしたら達成した、といえるのか?】それは主に2つあると考えます。

・自分自身が自分らしい生き方ができた時
ex ) 福島出身であることを心から誇れた時など

・これまで出会ってきた、これから出会う人々が自分らしく生きることができていたら
ex ) 同性婚が全体的に認められる、障害者と健常者が共生することがベースな社会

だいぶざっくりしてますが、これを証明する数値も、根拠も難しいので実現できた!と呼べる日はもしかしたら、来ないかもしれません。

自分は何のためにこの社会を実現させたいのか。
自分はなぜ、自分の思い描く理想の社会を実現するための手段として就職活動をする、という選択をしたのか。

学生だからと許されたこともあれば、
学生だからと耳を傾けてくれたこともあれば、
学生だからと発信する機会をいただけたりとか、
学生だからと過大評価、過小評価されたりとか、
学生だからと勝手に決めつけられたりだとか、
学生だからと様々な機会を制限されたりだとか、

“学生”の間は沢山失敗してもいい、失敗できると言われてきたけれど、それは家族や先生など関わってきた大人に甘え、支えられてきたからこそのものであって、本当の意味で自立できていないような気がして、
これまで自分を守ってくれたもの、自由でいられた理由が突如、自分に矢を向けられて、全て自分自身の責任として背負う覚悟と、自覚と、責任を持って、熱意も忘れずに社会に飛び込んでみたら、

その先に自分の人生を更に豊かにすることができて
これまで出会う幅が更に広がって、更に自分自身がアップデートされて、更に色んな世界をこの目でみて、これまで21年間みてきた世界はちっぽけで、もっともっと広いんだと実感して、いつか誰かと手を取り合いながらでも、変えることができたら。

その為の最適ルートが、今のところ会社に就職する、という自分なりの答えに行き着いたので、

とりあえずは周りにのまれず、自分のペースで、然し後悔のない最善の選択ができるように、こんなことを夢みて、勝手に想像して信じて突き進んでみようと思います。

変わるべきは個人か、社会か、はたまたその両方かというタイトルを今回つけました。
一通り読まず、とりあえず殴り書きしているので一貫したテーマで書くことができていないと思いますが、、。(笑)

私の場合、両方にアプローチする必要があるのではないか、と考えます。
社会ばかりに原因があると目を向けて、敵意を向けるのではなく、色んな面を見つつ、考えつつ、自分自身にもベクトルを向け、なぜ誇れないのか?社会だけに問題があるのか?とこれからも自分自身に問いながら、まずは自分自信を信じる、自分の信念を曲げず、自分を大切にしてくれる人たちを大切にしながら、問うことを辞めずに一歩ずつ、進んでいけたらいいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?