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「15時17分、パリ行き」 クリント・イーストウッド監督 それは運命の悪戯か
2015年8月21日。アムステルダムからパリに向かっている高速列車タリス内で、イスラム過激派の男が発砲事件を引き起こす。500人以上の乗客たちは混乱と恐怖に陥ったが、ヨーロッパ旅行中のアメリカ人の若者3人組が命を捨てる覚悟で犯人に立ち向かう。
主人公3人の若者をそれぞれ本人が演じ、また列車に乗り合わせていた乗客たちも本人役として出演。なぜ若者は勇気ある行動を取れたのか。ドキュメンタリータッチで綴られる。
運命とか自分の人生における定めみたいなものを意識することが度々ある。
それは得てして、自分の過去の経験からそうなったのだと後々気付かされることがある。
過去が現在の自分を作り、現在の自分が未来の自分を形作る。
過去に後悔したことや、諦めた夢。嬉しかった、楽しかった思い出。そんな誰しもが持つ感情。しかし、今の自分を形作ってきたのはまさにそんなポジもネガも含めた過去の自分の有様である。
また、それは現在の自分の行動すらも規定するほどに強力なものだ。
2018年に公開されたクリント・イーストウッド監督の作品「15時17分、パリ行き」。実際の事件を題材に、本人自らが本人役で出演している。
非常に珍しい形で作られた本作。描写も、本人が演じているということでドキュメンタリーに近い形で作られている。
役者ではない素人ということもあり、そこまで派手なアクションなどが展開されるわけでもない。
それがまた、実際に起きたこの事件をリアルに描出しているとも言える。
さて、本作、あらすじに書いたような事件のシーンが描かれるのは実を言うとラスト20分くらいのものなのである。
それまでは主人公3人の幼少期の辛く苦しい学校生活と、出会いそして別れが描かれる。
その後、アンソニーとアレクは共に軍隊へ入隊する。
アンソニーは当初、空軍パラレスキュー隊を志願していたが、不適切と判断され救護班へと回される。
自分の思い通りにならない人生に思い悩むが、運命とはどうもわからないものだ。
結果的にアンソニーの救護班での訓練がその後人生に大きな転機をもたらすことになる。
ストーリーの大半が、なぜ3人をこのような数奇な運命へと導いたのかを明らかにしようと試みているように感じる。
普通にストーリーを構築するなら、事件がどのように推移したのか、そこに力点を起きたくなるところだ。
しかし、本作が最も描きたかったのは、なぜ3人がこのような勇気ある行動を取れたのかにある。
実はそこには運命とも呼べるような背景が確かに存在していた。
これが観るものに大きなカタルシスを生み出すことに繋がっている。
アンソニーの運命の歯車は確実に回っていた。それは本人すらも予期しない回り方をしていた。
アンソニーは事件後思ったのではないだろうか。「ああ、これが自分の運命だったんだ」と。
人生とは本当にわからないものだと痛感させられた。どこでどんなふうに転がるかわかったものじゃない。でも、冒頭述べた通り、過去の自分が現在の自分を作っているのなら、自分の運命だって過去の出来事がもちろん介在しているはずである。
であるならば、全くわからないこともなかろう。過去の自分を振り返ってみればいいのだから。
そして未来の起こりうる出来事を形作るために、今自分の行動をより良いものにしようと努力するのも悪くない。
そんなことを思わせてくれる作品に出会えて今宵も自分の運命に感謝せねば。