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「ザ・エージェント」 キャメロン・クロウ監督 トム・クルーズはオーバーアクター?
やり手のスポーツ・エージェント、ジェリー・マクガイア。利益ばかり追求するやり方に疑問を感じた彼は、ある提案書を提出するが、それが元で会社をクビにされる。ジェリーは唯一残ったクライアントのアメフト選手ロッドと会計係のドロシーを連れて独立するが…
トム・クルーズのオーバーアクトを逆手に取った演出で笑いをさらうキャメロン・クロウ監督の手腕が見事。自然体の魅力を振りまいたレニー・ゼルウィガーの出世作
オーバーアクトと聞くとどうしてもネガティヴな印象を抱いてしまう。
しかし、私たち日本人にこの感覚って本当の意味で理解できるだろうか。
それは少々困難を極める。日頃から英語に慣れ親しんでいる人ならばいざ知らず、
ほとんどの日本人が英語を理解できないであろう現状を察するに、オーバーアクトと言われてもあまりピンとこないだろう。
私たち一般的な日本人からしてみれば欧米人は大体がオーバーアクトに見えてしまうからだ。
というか、それは何も演技に限った話でもないだろう。
私たちは挨拶にいちいち握手したり、ハグしたり、キスしたりしない。
身振り手振りを交えながら話したりしない。
私たち日本人とは明らかに異なった生活習慣を持つ欧米人の演技は何もトム・クルーズに限らずオーバーアクトに見えてしまう。
でもアクトがオーバーなのだから、やっぱりそれは演技論的にはマイナスな側面なんだろうなぁと感じる。
しかし、この作品はトム・クルーズのオーバーアクトを巧みな演出によって良作へと押し上げているそうだ。
が、そう言われてもやはりいまいちピンとこない。他の作品、例えばコメディ映画などの欧米人の役者たちってあれぐらいかそれ以上の演技してない??って思っちゃうのだ。
しかもこの作品以来、トム・クルーズの出演作としては今年の「トップガン マーヴェリック」までアカデミー賞にノミネートすらされていない。
この作品はトムの演技を逆手にとった監督の手腕よって高く評価されたようだが、これ以降、20年以上トムはアカデミー賞から遠ざかっていたわけだ。
オーバーアクトという負のイメージがトムに賞レースの恩恵を与えなかったのかもしれない。
しかし、前述したように欧米人のオーバーアクトにピンときてない私としては、トム・クルーズの芝居が決して悪いものだと思ったことは多分一度もない。
まぁ、得てしてハリウッド大作映画ばかりにでている役者って評価されにくいんだろうなぁと思う。
トムもそうだし、ジョニー・デップやキアヌ・リーブスなんかもその類だろう。
しかし、トム・クルーズはブライアン・デ・パルマ、ジョン・ウー、スティーブン・スピルバーグ、スタンリー・キューブリックなど、世界的に評価の高い監督たちに起用されている。
このことは、トムに何かしら評価される能力があることの証左ではないか。
ただのハリウッド大作に主演するセレブ俳優にとどまらない才能。
仕事の選び方次第ではここまでアカデミー賞に敬遠されることもなかったんじゃないかな。
「スポーツ・エージェント」を題材にした本作。これまた私たち日本人には馴染みのない職業である。
しかし、馴染みがないからこそ興味深く鑑賞することができた。
エージェントと選手の関係性、そこから生まれる疑念や葛藤。
高額な年俸のみを追求する会社との軋轢。
そんな中で見つける「本当に大切なもの」とは何か。
構造的には非常にわかりやすい。
スポーツ・エージェントという仕事に関するテーマだけであればここまでわかりやすい感情にはならなかったであろう。
この作品には仕事と結婚、子供、親子、家族の絆など普遍的なテーマも交えながら語られていることが本作の重要な点であろう。
映画ファンのみならず、たくさんの人が共感や感情移入できるよう工夫されていることが伺える。
何気なく観てしまう映画には、何気なく観させる構造があるのだということがわかる。
これだけ映像のプラットフォームが増え、映画やドラマが氾濫している昨今。
多くの人を楽しませる工夫がそこにはあるっていうことを意識すると、「いやぁこれって結構すごいことじゃない」と、感慨深く感じる。
何気なく観ている作品も少し視点をずらして見てみると面白い発見がありそうだ。
そんなことを改めて考えさせらた今宵の作品であった。