見出し画像

堺市 仁徳天皇陵の側にある 磐之媛皇后の歌碑

先日の奈良平城京跡の近くで、
仁徳天皇 磐之媛皇后の古墳の
近くにあった、歌碑のお話の続き。

磐之媛皇后の和歌の
一つは先日の奈良の仁徳天皇 皇后陵に。
なんと残りの和歌の歌碑が、
堺市の大仙古陵古墳(仁徳天皇陵)
すぐ側にありました!


磐之媛皇后 歌

君が行き日()長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
(あなたが旅にお出かけになってから日数が重なりました。山の中を尋ねてお迎えに
まいりましょうか。それとも、待ちつづけていましょうか。) 

かくばかり恋ひつつあらずば高山の岩根しまきて死なましものを
(これほどまでに恋こがれるのだったら、高山の岩を枕として死んでしまいたいものを。)

秋の田の穂の上に霧(き)らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ
(秋の田の稲穂の上にかかる朝霧のように、いつどのようにわが恋が晴れるのでしょうか。)

居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも
(夜を明かしてあなたを待ちましょう。私の黒髪に霜が降ろうとも)

ありつつも君をば待たむうち靡くわが黒髪に霜の置くまでに
(こうやって、いいつづけて、あの方をずっとお待ちしていよう。私のこのなびいている黒髪に夜の霜が降り立って、かまやしない。)


仁徳天皇の正妻である磐之媛皇后は、
歴史上臣下から皇后になられた
最初の方で、
“民間皇后で一番はじめの女性“。
歴代の天皇に仕えた功臣、
武内宿禰の孫にあたり、
大和の豪族葛城氏の一族とされています。


この葛城氏、
普通の豪族じゃないっぽい、
=かなり重要な一族なのでは?
と最近考えるようになった次第で…。


何か日本の一般的な歴史では、
完全に消されてしまっている
『○○王朝』とかに関係してそうな…?
(まだリサーチ中です)


だから、
仁徳天皇の後は、
この皇后様が産んだ息子達が、
続いて3人、天皇になってます。



表では男系だけど、
本当は女系も重要だった?!



堺市の中百舌鳥古墳めぐりは続きます。