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自分で守る

10年位前、車を運転している男性が持病の発作を起こし歩道に突っ込む暴走事故があった。かなり衝撃的な事故でニュースでも大々的に報道された。

その翌日、私は驚いたことがある。

都内をランニングしてた。大勢の人が横断歩道の信号待ち、そして青になったとたん、みな周りも見ず何も疑わず、すたすた歩き始めたのだ。びっくりした。あんな事故があった翌日だ。私は車が止まってる、もしくは止まりそうなのをキョロキョロ確認して渡った。

右折車と直進車との衝突事故で、歩道の信号待ちしている人に突っ込むケーが何回もあった。それでも今、車道目の前の最前列で信号待ちしている人がいる。私は、少し下がってガードレールがあるような場所で待つようにしている。

ビルの工事現場で物が落下してきて、歩行者が亡くなる事故も何度も起きているのを覚えているだろうか。私はそこに警備員がいて誘導しようが、そんなところは避けて絶対に歩かない。

全て事故を起こした人間が悪いに決まっている。

でも死ぬのは絶対に車の運転手や建設現場の作業員ではない。自分だ。知らない人間に自分の命をゆだねたくない。

酒を飲んだトラック運転手が帰宅途中の子供の列に突っ込んだ。似たような事故は何度も起こっている。子供を預ける保育園、幼稚園でも送迎バスの閉じ込めなどたびたび子供の命に係わる事故が起こる。同じ子供を持つ身、本当にいたたまれない。

全て子供は悪くない。でも死ぬのは酒飲みトラック運転手でも、管理不届きな園長でもない。

ではどうすればいいんだろう。

まずは「安全」は全く担保されていない、約束されていないと知る、ことだと思う。

私たちは命の危険を伴うような災いから逃げることは苦手だ。ありがたいことに比較的安全で治安も良い日本に住んでいて、比較的平和に暮らせている。

それは「たまたま」なのだ。

それが長く続くと「当たり前」だと思ってしまう。だからどこかに危険が潜んでいる可能性があっても、それを回避するのは苦手なのだ。安全が当たり前なので、それを回避することに労力をつかうことは、無駄なんじゃないかと思ってしまう。取り越し苦労じゃないかと思ってしまう。

私は子供が生まれてから考えるようになった。死なせる訳にはいかない。

そう考えて身の回りを振り返ると案外危険に満ちていることがわかる。もちろんそんな危険の確率は低いんだろうけど、数日前も小田急線の車内で無差別の殺傷事件があった。今まで長い間生きてきて電車に乗っていて刺された経験、そのような場面に出くわした経験はない。

でも現実にナイフを握りしめて誰かを傷つけようとする人間がこの世にはいるのだ。

「徒労」でもいいから、怪しい雰囲気を察知できるように、なんかおかしかたらすぐ確認するように、そして逃げられるように、車が飛び込んでくるような事故にあわないように、取り越し苦労でもいいから労力を惜しまず用心したい。

私たちは「たまたま」平和なのだ。そして「たまたま」災いが降りかかってくる。そんな「たまたま」で自分や大切なものを奪われたくはない。

災いに備える。備えた上で幸せに生きる方法を実践する。

土砂災害、暴風雨、洪水などはわずかでも必ず予兆があり、逃げることのできる災害だ。

神経質なんかじゃない、考えすぎでもない、取り越し苦労でもいい。

大切なものは自分で守る。そんなスタンスで生きていたい。

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