20220323

 こんばんは。日記を書きます。


 昨日、なにかの気の迷いでほぼ無計画のままパソコンの掃除を始めてしまい、グリスがないことに気づき、それが届く数日後まで何もできないという状況を作ってしまいました。アホですね。ラップトップも処分してしまっているので本当に何もできません。今はスマホをぽちぽちしています。打ちづらいことこの上ないです。フリック入力に未だ慣れないんです。文字装飾もできやしない。

 散らかしたままの部屋の中、せっかくなので積んでる小説を読んでしまおうと思いました。真面目に紙の本を読むのは久しぶりです。


 昨日は"直感"を読みました。前の話を朧気にしか覚えていないのですが、文字の中の彼らは何も変わっていなくて(某セリフで叫んでしまった)、変わったのは挿絵の画風と、俺の年齢だけ…とか思っていました。懐かしいなあという気持ちです。

 今日はまず某氏が某誌に寄稿した短編を読みました。展開をミスリードさせておいてそこから2回(だと思っている)ひっくり返したのは読んでてハラハラしたし、そうオトすのか〜と正直驚きました。オチが個人的な好みではなかったにせよ、少なくとも、いやある意味で"今"ならではだなあとも思いました。

 その後。こっちは書くか。「たったひとつの冴えたやり方」を読みました。まだ表題だけですが。かなり前に某氏からオススメされて勢いで買ってそのまま積んで(すみません)、今更ですが触れておきたかったのです。 あらすじは概ね聞いていましたが、読んでる最中にそれらを思い返す余裕はありません。ただ読んでてぼんやりと、徐々に明確に感じる不安感を「彼女」が代弁してくれて、あの結末。素直にいいなあと思いました。残りもたのしみです。


 感想を書きました。書いてみました。感想になっているでしょうか。

 意識して書いたのは初めてです。私はこれまでいくらか文章を書いていますが、作品に触れた感想を文章にしたことは一度もありません。文章にできたことがありません。読書に限らず映画やゲームでもそう。それで私がどうなったかは書いていますが。あの世界を前にすら私は「わかりません」と言いました。

 作品に触れて感じたことを言語化することはV以前はほぼありませんでした。理由は個人的な思い込みからの自制です。

読書感想文とかは、その物語とあったかどうか定かでない体験談を創作して紐づけて、結論を主人公の結論と同じにすればモノになるのでそれで乗り切りました。

V直前ではギリギリ近いことができたジャンルがあったので、そこで練習しようともしていました。今日読んだ作品について少し考えていましたが、"私の思ったこと"とは文中にあったテキストの引用ではないか?実際そうでした。なら私自身の感想とは何か?というのを結局思ってしまいました。

 他人の真似をするのが好きだという自覚があります。精神分析の概念である防衛機制のひとつに「同一化」というものがあります。適切な解説を求めたところ、「自分の尊敬する人や理想とする人の振舞いや特徴を真似て欲求を満たそうとすること」とのことです。私はそれが顕著であると昔から自覚的です。楽器を弾くときはアドリブを嫌い、如何にオリジナルを再現するかに注力していました。まあそれ自体は多くの人に少なからずあるものだと思いますし、だからこそ"逆"という発想があるのだと考えます。私自身はまあそれでもいいと思っていますし、最近になってようやくそれだけだと面白くないのではないか、とも考えられるようになりました。ので、せっかくの読書の機会をとらえ、感想を書く練習をしようと、そうなったわけです。

 感想そのものが重要ではないというのもわかりますが、少なくとも言語化して初めてみえるものもあるんじゃないかなあと無知ながら思います。多くの人と同じものをみたいです。私の願いの発端のひとつですし。



 2時間近くかかってしまった。なにはともあれ、しばらく続くこの読書期間を楽しもうと思います。おやすみなさい。