【-9- 永遠の旅行者|ディスレクシア・カタルシス(9)】
ここは先日に知能検査を受けた施設の一室。部屋には結果を待つ母と私と結果を持つ医者こと先生。手帳とその先にある将来が決まる分、その空気は張りつめていた。
まず、簡潔に知能検査の説明すると「集団式」と「個別式」の2種類があるのだが、私が受けたのは被検者と検査官がマンツーマンで対話しながら積木や模型を使って診断する「個別式」だった。そして、そこからいくつかの部門に分けて数値を出し、その平均値が『その人の知能指数』となる。障害者認定となる基準数値は『75未満』である。それを踏まえて下に進めてほしい。
「今回、綿飴君と対話してみた結果……」
「はい」
「これほど凄い子は見たことないですね」
「すごい…そんなに低いのですか?」
「いえいえ逆です、基本的に高いですよ」
「えっ? そんなに高いのですか?」
「特に『思考力』『空間認知力』においては大人に負けないぐらい優れてますよ」
「そうですか…! 良かった!!」
「ただ…ひとつだけ低い項目があります」
「低い? 何がでしょうか?」
「『言語力』です。主に文字と言葉が大変苦手のようですね」
「はあー…そうですか。たしかに生まれてから会話が得意でない子でしたから……」
「では全体の知能指数を伝えます」
「はい!」
「綿飴君の知能指数は『78』です」
母は驚愕した顔をしていた。
「えっと…あの…基本的に数値高いんですよね?」
「はい」
「それなら、何故こんな数字に…?」
「だから『凄い』のです。言語力単独の数値でいえば『35』で、これ以下のない『最重度レベル』。つまり事実上の【重度言語障害児】になります。もしかしたら言語力は2歳児未満と思われます」
「2歳児未満…」
「それに伴い以下も診断されます」
先生が予め用意した書類には四つの項目が書かれていた。
◆言葉が話せない『言語障害』
◆文字が読めない『識字障害』
◆文字が書けない『書写障害』
◆計算が出来ない『計算障害』
「おそらく綿飴君は『言葉と文字』を『雑音と模様』としか認識してません。本来、人間は物事を考える時に無意識に脳の『言語野』と呼ばれる部分で処理するのですが、綿飴君は質問された積木や模型のテストに言語を使わず正解しています。たぶん『前頭葉』など他の部分が備わる『思考力』『空間認知力』などが補っているのでしょう。これは他の能力が相当優れていないと不可能ですし、『目の前にある情報だけで応用に導く』という生きる上で一番重要な力が4歳でほぼ持ち合わせていると言っても良い」
「で、では『お、お、お』が息子なりの会話なんですか…?」
「そうですね。単に『言語が認識できない』だけですから。それに指数35で平均78ですから、他の高さは相当の物です」
「他が高いなら、成長が遅くても後に『喋れる』ようになるのでは?」
「それはありえませんね。お母さん、はっきり言いますが綿飴君は『遅い』のではなく『無い』のです」
「無いって……」
「では、生まれつき手足のない子供が成長したら手足が生えてきますか? いわば綿飴君は天性の運動神経を持った手足のない子供なのです」
「そんなの……才能の生殺しじゃないですか」
「だからこの先、綿飴君は誰よりも苦しむでしょう。自分と外部の連絡が遮断されたまま生涯を過ごすことになるのです」
「では……将来私たち家族がいなくなったら…この子はどうすれば……?」
「それは……分かりません。できるだけ言語を使わない職場や環境に身を置くことしかアドバイスできません」
「そんなの、無理ですよ……」
「無理ですね……」
◆知能指数『78』
◆言語指数『35』
特殊学級には賢すぎた言語の障害児。
普通学級に進級する最底辺の一般児。
長い長い旅が始まる。
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【あとがき】
このブログを読んでる人たち全員が思うでしょうが、もう今は普通に喋れますし文字も読み書き出来ます。もちろん理由や経緯も今後書く予定なのでよろしくお願いします。
外国では私のような「重度言語障害者」のことを、言葉も文字も分からないことから「永遠の旅行者」と呼ぶそうです。
旅は続くよ、どこまでも。