【#006|ファーストな終わりの挨拶の仕方】(2018年09月06日)
「ごちそうさまでした」
平日昼間に1人で入った券売制の牛丼屋で、5つほど離れた席に座る中年サラリーマンが食べ終わって席を立つとき、奥の厨房に向かって簡潔な挨拶をした。
実は私はあの挨拶に憧れを抱いているのだ。
別に意識して恩を押しつけている感じではなく、ただ日常の1シーンで言っているだけのこなれた雰囲気が良いのだ。抑揚の少ないフラットなトーンがそれを物語っている。
しかも私の位置から見ても分かるのだが、そのとき奥にいた顔の見えない店員はこちらを見ていない。だけど背中越しから挨拶した中年サラリーマンの存在に気づいており、何も言わずに普通の背中で「ありがとうございました」と返しているのだ。その証拠に片手にご飯を入れた丼鉢をスタンバイさせているのに、つゆだくの牛肉をかける大きなお玉の片手がほんの一瞬だけ止まったことを私は見逃さなかった。
その一瞬こそ、互いの感謝が成立した証なのだ。
この暗黙に社会的な大人らしさを無職の私は感じるのだ。
今まで何度か去るとき挑んでみたものの底知れぬ恥ずかしさが挨拶を下から食い殺して、結局出来ず仕舞いでここまで来たのだ。
今日こそは過去を打開する日で、社会的に成長する日なのだ。
ただ意識すればするほど今日まで言ってきた回数分の「ごちそうさま」が目の前にいなくなる。つまりはゲシュタルト崩壊の一種で、私はどのようにして「ごちそうさま」を言ったのか今の私は知らない。
やはり人と会う機会が少ない無職には不可能なのか。人として当たり前な挨拶すら出来ないのだから社会不適合者のレッテルを貼られても文句は言えない。やはり私はまだ社会的に未熟なのだ。
席を立って、一言言うだけ。
その2ステップが私の尻が椅子を離さない…。
「ごちそーさまでしたぁー」
なっ…先ほどのサラリーマンと反対側の席にいた母子の小さい女の子がカウンターに立っている近くの女性店員に挨拶した。
これはポイント高いぞ。小さいながらにご飯のマナーを守りつつ、まだ拙い日本語にその場にいる大人たちはその子に寵愛を抱く。幼い子供だからこそ成せる最高級の所作だ。
現に周りの大人たちはトローンとした優しい笑顔でその子を見守っていたし、私もその1人であった。また女性店員もその子に満面の笑みで目線を合わせて「ふふっありがとーございます!」と特別な笑顔を添えて返している。
眩しいほどに美しい。大人になっても店員に敬語が使えない私みたいなクソ野郎がはびこる世の中で、これは腐った社会が抗って残した聖なる光だ。私が画家か写真家なら今すぐ枠の中に閉じ込めたい。
その後、母子が店を出るとき女の子が店内に手まで振ってきた。追加ポイント2万点、私まで母性が芽生えそうだ…。
さてさて私の丼も食べ終わったのだが、これほど純白な光を皆が見た後で30近い私が挨拶する価値などあるのだろうか。仮にしたとして、あの子に乗っかって自分も挨拶した感じになるのも困るし自分の意思に反する。むしろ綺麗なままで跡を残さず去った方が皆のためになるのではないか。そうだ悪いが今回は潔く席を外そう。
「ごちそうさんしたー」
突然真後ろから誰か男性の挨拶が聞こえた。どこの誰なのか知らないが子供の挨拶があって間もなくぶっきらぼうな挨拶するその勇気、自分も乗っかりたい…!
「ごち、ごちそうさまでしたっ」
自分的には大きめに言おうと気を利かせたつもりが逆に噛んでしまった。とっさの機転が当初の計画より恥ずかしい始末にさせてしまい、精神的な赤面になった。早めに店を出ようと小走りで移動して、横目にチラリと店内を見たら何も変わってなかった。
誰かが私を見るわけもなく、誰かの箸が止まるわけもなく、いつもの牛丼屋だった。出入り口から見えない奥の背中は私を見つけてくれたのかな。
道路に出て歩きながら店のガラス窓を覗いたら奥の厨房に店員はいなかった。
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【あとが記】
意識するほど何も言えない関係、これは一種の恋なのか。
そんなわけはなく単純に牛丼屋にチキン野郎が飛び込んで1人あたふたしてるだけの話です。
食事以外でも小粋な挨拶ができる大人は普段どう過ごし、こんな私をどう思うのでしょう。
想定よりボッコボコにやられました…。
特に一芸に長けてない無職には刺さる説教です…。
「他人を見て我が振り直せ」ってか…。
まだ自信が無いので読みかけの『赤めだか』読んできます。あれっ机の左横に積んだ本塚(約1.5m)にあると思ったのに無いな…。すみませんが探すの面倒なので、いずれ読みま……ああ、だから私は無職なんだな……。