めっちゃ軽度なコロナになってた時の話①
注意:以下をよく読み、途中でムカつくなどしたらそっとUターンしてください。
①軽症で済んで今は完治してる奴の言い分です。
②『私の場合は』の話なので気に入らなくてもスルーしてください。
③関わった医療機関の皆様、本当に感謝してます。
④無駄に長い。
⑤今現在の状況とは異なります。参考にする際は必ず今の状況を確認してください。
本文↓
こんにちは、渡邊です。
めんどくさがりが備忘録として頑張って書いてます。
今回はコロナにかかった時の話です。
ええ、実は罹ってたんです。
めんどくさい事情もあったので当時は何も言えずに悶々と過ごしていたのですが(正直めちゃくちゃTwitterで騒ぎたかった)
時間経ったので時期などは伏せてここに残そうと思います。
〜まず、〜
体調が悪くなったと感じたのは朝、起きた時。
体が怠くてしんどかった。
熱を測ったら自身の平均体温36度より少し上程。
ただ、決定的な数字である37度には達しておらずそれがもどかしかった。
ヤバいかもと思って1日ユンケルとリポDを飲んだら次の日には治った。
ここでコロナだと断定できなかったのは私がいつも体調を崩しやすい時期と被っていたからだった。
具合が悪くなってからたまたま休みのタイミングだったために外に出ていなかったことが不幸中の幸いだったと思う。
その後にやってきたのは鼻の痛み。
中学生だった冬の朝、鼻を出して登校をしていた時の冷気が鼻奥をツーンと刺激してくるあの感じ。あれが3日ほど続いた。
そしてその痛みは私から徐々に嗅覚を奪っていった。
嗅覚は目に見えてわかる感覚でもない上に、坦々麺など食べる所為で嗅覚が消えていってる確信がいまいち掴めず、とうとう気づいたのは完全に嗅覚が消えた日の朝だった。
〜流石に、〜
朝起きて嗅覚が消えた時は判断基準であるアロマ瓶を片手にチベスナ顔になった。
私が何をした。
この時、私は嗅覚と味覚の両方が鈍感になったと思っていたが
実際は嗅覚鈍感によって風味を感じられてないだけで味覚は正常だった。
(味はしないがなんとなく美味しいがわかる状態)
とりあえず掛かり付け医に電話し居住地域のPCR検査を受けられるように紹介してもらった。運が良かったのか電話したその日に検査を受けた。
車内で検査できる機関に乗り入れ、問診と唾液採取をして帰る。
問診では現在の症状を伝えたがほぼ嗅覚が消えたことしか言ってない気がする。
結果が出るのは翌々日の朝7時とのことだったのでその時間に電話すると言われた。
家族の周りでも知り合いがコロナに罹ったという情報はなかったので、
まさか私が第1コロナになるなんて夢にも思ってなかっただろう。
〜運命の〜
朝、電話がかかってきた。
お医者さん『結果から言いますと陽性でした。この後保健所から連絡が来ますのでそちらでまた詳しく経緯をお話しください。ではお大事に』(大意)
渡邊「……」(こりゃ大変だぁ)
真っ先に動いたのは父だった。
父は介護老人ホームで働く医療従事者である。
この道20年超えのプロは感染症には人一倍敏感であった。
すぐに私を部屋に閉じ込め家中を消毒して回った。
私だけが呑気に2度寝した後、保健所から連絡が来た。
現在の症状や体温、病状の経緯と同居家族全員のフルネームと電話番号まで
詳しく聞かれた。
わからない情報は調べて次の電話の際にとのことで基本的に保健所から一通電話。
こちらから掛けるのは病状が悪化した時だけという感じだった。
最初に具合が悪くなってからここまでで大体1週間。
〜ところで、〜
私は保健所にめちゃくちゃ頼み込んだ一件がある。
ホテル療養だ。
ホテルに入れてくださいとめちゃくちゃ頼み込んだ。
結果的にホテル療養は保健所が決めるわけではなく都県の担当者が決めるらしい。だが、保健所が都県に提出する資料に備考欄があるらしくそこに書けばもしかしたら考慮されるかも……とのことだったので入れてもらった。
<両親が医療従事者で祖父母が高齢者です。1人になれる部屋はありません。>
基本的には自宅隔離で済まされるであろう若者の感染ケース。
だが1人になれる部屋がなければ隔離も難しい。
私が生まれる前に祖父が建てた3LDKの一軒家は、
最終的に6人と1匹が同居する手狭な一軒家になってしまった。
現在まで私に個人の部屋が与えられたことはなく私・妹・両親は一部屋で寝ている。なんと祖父母が一部屋ずつである。
そんな中2週間の隔離を言い渡されたやつはどこへ行けばいいのか。
故に「私ひとり隔離しようとしたら2つあるうちのどちらかのトイレになる」
と、そのまま伝えた。
ホテル療養の順番待ちに登録してくれた。※今は知らん
事前にホテル療養に関することを調べて準備しておくように言われたのでサイトを漁る。色々漁ってリストアップしたのがこの画像↑である。
Wi-Fiルーターと加湿器は持っていかなかったけどその他は全部入れていった。
財布と帰りに使うICカード、療養先でオーディション動画を撮らなければいけなかったのでPC。(マジ療養中になにしてんだ)
もう日本一周できそう。
こうして父に閉じ込められた日から食事を部屋前まで運んでもらい、
部屋から出てトイレや風呂に入る際はアルコールを染み込ませたペーパータオルで触ったところを全部拭く、という事を2日したところで望んでいた電話が鳴った。
ちなみにこの時点での渡邊の症状は、
・嗅覚が無い。
だけ。
・・・どうしよう、めっちゃ元気だ。(暇すぎて筋トレしてる)
②へ続く→
(写真:隔離1日目の晩飯)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?