女王の毒霧の犠牲になった話
ツイステ5章の話というか自分の話なので興味ない人とかはそっとじしてください。書き殴ってるので見る人に配慮はしてないです。
タイトル通り、作中で見事オバブロを果たしたヴィル・シェーンハイトについての個人的な感想。というか、気持ち。
初ノートがこれでいいのか?
知らん。
私は今回ヴィル・シェーンハイトがオーバーブロットした際に
『私はヴィルの為に死んでも構わない』と本気で思った。
今監督生だったら私死んでたわ。
ここまでツイステで感情が揺さぶられたのは初めてだった。
過去の自分を見ているみたいで、ヴィル・シェーンハイトがまだ子供だったということを強く認識させられた。ありがとうシナリオ。
私は声優になるために高校専門学校へ行ったが、半分くらいは楽するために入ったようなもので、受験を知らない甘ちゃんのひよっこは今も継続されている。
努力は今でも嫌い。
結局、声優にはなれないと1年くらいで方向転換し舞台表現の道へ進んだ。
ここまでくれば彼との共通点はただ『表現者である』という1点のみなのだが、若かりし10代の私にはパワーがあった。
だから彼に共感できた点がもう1つだけある。
『嫉妬心』
パワーがあった10代の私は一丁前に嫉妬できる心を持ち合わせていた。
他のクラスの芝居ができる人を妬んで、でもそんな醜い自分がもっと嫌で。
辛い。
そうして私は諦めた。
向上心を捨てて、自分の楽な方へ逃げた。
主演にはなれるかもしれないけど主役になれる柄じゃない。
逃げ癖は今も治らないし無駄にプライドは高いけど、これが大人なのだと自分で納得した。
彼の話に戻るが、見せ物として自分の最高の作品を作り上げるヴィルと、
人と繋がり共感する作品を作り上げるネージュとでは本当に相性が悪い。
私も童謡始まった時やられた!って思ったもん。
お客さん引き込むアクティングの方がそりゃ印象つくよなって。
何も間違ってない、ただ発想の転換1つなんだよね。
皆の手を引いてを味方につけるネージュは眩しすぎる。
ヴィルが手を出そうとしても皆が地に伏してしまうから、今まで誰も気づけなかった。誰も手をとってくれる人がいなかった。
その時、私に母性が芽生えた。
この子は諦められないのだと。
手をとってくれと泣いてる小さな子供に見えた。
私があの時あの場にいたら、カリムたちが逃げる前にヴィルを抱き締めていた。
頑張ったのに辛かったねと、醜いあなたでも私は良いと、母親のようなことをしながら泣いていたと思う。
まぁ作中でヴィルが言った通り自分で自分を許せないと意味ないんだけど、
(そこでも共感してしまった)ひっくるめて愛していると伝えたかった。
足元に縋って、ただエゴのために
彼の手に掛かって死んでもいいと思った。
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