老いとか死とか家族とか兄妹とか
「おばあちゃんの容態が芳しくなく、話ができるのは最後かもしれないから父が帰省します。伝えたいことがあれば動画とかで送ってね」
母から家族ラインに連絡がきたのが1週間前。
その時の、身勝手で幼稚な私の感情は、
・おばあちゃん、、、もう10年も会ってないや。そんなことになってたのか、というショック
・でもまあ90越えだし、自然の摂理として仕方のないことなのか、という俯瞰的または他人的感情
・おばあちゃん優しくて、宮崎の方言がやさしくて好きだったな。全然会いに行かないでごめんねだけど感謝は伝えたいな、という後悔と切なさ
・そして何より、、感謝を伝えたいけど、その動画や文章を母に見られるのは耐えられない、という強い意志。
最後の意志に引っ張られるように、今年のWISHリストに”おばあちゃんに会いに行く”って書いたな自分っていうのも思い出した(私は毎年WISHリストを20分で100個挙げるチャレンジをしています。日常生活でこれを思い出すことはないけど、年末振り返るとだいたい20-30は叶ってる。)ことも背中を押して、宮崎行きを決定。
なんかちょっといいホテル取っちゃったこととか、それを父の兄弟にどう思われるかななんてことばかり気にしながら、部屋から海を眺めていた昨日。
そして今日、父の兄妹たちとあいさつを交わし、己のコミュ力の低さを恥じつつも、会話を広げられないのは父譲りだなんて確認して心の内で言い訳しながら過ごして、いざ、面会の時間。
なんだろうなー。
やっぱり、上手くできなかった。
最初は、懐かしさで胸がいっぱいになって、一瞬嬉しそうにして手を握ってくれたことが嬉しくて、体温が上がる心地がした。
だけど、耳も遠くて、認知症ゆえ、自分の名前を繰り返すほかなく、とはいえおばあちゃんがなんて言ってるかももはや分からない。
そんな時間が続くことがだんだん耐えられなくなって、なんて声をかけるべきかもわからなかった。
そんな私に、父と、父の兄妹たちは、会いに来てくれて本当にありがとうと何回も声をかけてくれたけど、正直、めったに会いに来なかったくせにこんなときにばっかり出てきて、大したことも言えず、しょうもないやつやなーて思われてないかとか、母子の時間を邪魔しちゃったんじゃないかとか、なんか自分のことばっかり考えている自分に嫌気がさして。
ずっと、思考の行きつく先は自分のことで。
父が兄姉の前ではちゃんと弟なこととか、久しぶりでも仲良しだったり、親の事を一緒に悩んで考えている姿に、兄妹って素敵だなあと思ったり、子たちにこんなに愛される母親して、たくさんの孫たちにも愛されて、おばあちゃんすごいなあとおもった先に、自分と弟の希薄な関係を思い出し、子には兄妹がいいななんて、ついこないだまで子供はいらないと息巻いて、(3年近く未だに忘れられずにいる)元カレとの終わりの決定打を押したこととか、いまも結婚はおろか彼氏もいないなんて、みたいな、、、
もう、果てがないからまとめます。
おばあちゃん、大好きです。ありがとう。
今回の旅で、いっぱい思い出せた思い出があるよ。
大事に抱えて、忘れないようにする。また会いにくるからね。
ひさしぶりの宮崎、いいとこだった。
山と空がきれいで、海がきれいで、方言がひとがやさしくて、沖縄までいかなくても南国リゾートでさ。
おばあちゃん、らぶゆ。
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