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「おじいさん 変な動きを した」に想う

 「おじいさん 変な動きを した」

 かの大物youtuber”Syamu”が詠んだ俳句です。
 Syamuは動画投稿をメインに様々な分野で活動しており、その奇怪な言動やズレた思考が嘲笑の対象としてネット民の注目を浴び、人気を博した人物として知られています。



◆考察するに至った経緯

 これが俳句か?率直な感想だった。音は足らず季語も無く、つまらなさが目の前にポツンとあるだけ。こんなものは俳句ではないと笑い飛ばした。
 しかし私はその後、種田山頭火や尾崎放哉などの無季自由律俳句を知り、情景を己の人生に重ねて詠う彼らの作風に感化された。そしてSyamuの詠んだこの一見すると荒唐無稽な俳句にも深い意味があるのではないだろうかと思い、一度向き合ってみる事にした。


◆この俳句から読み取れる情景

 この俳句は字足らずでありながら、おじいさん以外の情景に対して一切触れていません。これは他の情景を詠む余白があったとしても詠む必要が無い、そう判断するほど特筆すべき物が無い景色が広がっている事を表しており、その中で変な動きをするおじいさんの強い孤独感を引き立てています。
 事実この俳句が詠まれた場所は人けの無い田園地帯であり、その時に出会ったおじいさんの事を詠んだ物なのです。


◆Syamuの人生と重ねて考える

 Syamuは自身が変人であることを否定しています。しかし活動の中で受けた嘲笑の多さから、彼は自身が変人であることを自覚せざるを得なかったと思われます。
 変人のおじいさんを詠んだのは偶然ではなく、内心どこか自分の姿と重ねていたのではないでしょうか。

 「ひとりぼっちの変人のおじいさん」と「嘲笑に囲まれた変人の自分」の対比。彼はおじいさんに自身の未来を見ました。
それは「誰にも笑われないという明るい未来」でもあり「誰も笑ってくれないという暗い未来」でもあります。
 彼はこの俳句に、現状を嫌いながらもそれに甘んじている己の葛藤を詠んだのです。


◆終わりに

 実はこの俳句、リズムとして見ると
「おじいさん へんなうごきを 、、、した」
となっていて、字足らずに見えますがしっかりと五七五に則った俳句である事が分かります。
 型に嵌められない事を知りながら、それでも詠い直さずに型に嵌めようとした。それは自分が普通ではない事を知りながら、それでも今の自分を否定せず普通を目指した彼なりの抵抗だったのではないでしょうか。

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