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[アメリカ留学] 留学1学期目の勉強の総括とGPA、大学院に対する考え方の違い

こんにちは。今回は私が今期履修した科目を細かく見ていくのではなく、広い視点から色々思ったこと、学んだことを書いていきます。また、個別の科目の感想については、履修した4個の授業を4本に分けて投稿したいと思います。なぜなら、報告書や何やらとしてお世話になった方々や今後同じ大学に行こうかなと考える後輩さんたちに向けて後々書くことになるので、記憶が存在するうちにいつもの質のひっくーい投稿と違って、このプラットフォームに真剣に書いたものを投稿すれば一石二鳥なんじゃないかと思ったわけですね。

全然関係ないですけど、カルロス・ロドンのヤンキース入りが報じられた翌日に書いてます。今期の歴史的に契約額がインフレしている市場から打のNo1のジャッジだけでなく投の大目玉の1人であったロドンも獲得したことで、完全にペイロールは身動きが取れないどころか、八方塞がり。更にドナルドソンやヒックスのサラリーダンプが起こるといったwere toレベルの話が起きない限り、贅沢税はドラフト1巡目の順位が落ちる閾値まで到達。ロドンの契約単体は想定よりはマシな契約に収まったとしても、今後の5年でスタントン、コール、ジャッジ、ロドンの30歳を超えたカルテットに贅沢税のファーストラインの2億3300万ドル約56%となる約1億3000万ドルの保証が確定。数年以内に是が非でも優勝するんだという意思は伝わってきましたが、GMのブライアン・キャッシュマンが正気ではないことは分かりました。新たな4年後の契約が切れる時にどんなロースターになっているのか正直マジで楽しみです。こんな大博打をして更に彼らのサラリーのダンプ先なんて将来はとても見つけられないでしょうから。史上で誰も見たことないがない夥しい数の不良債権と化した選手が同時にロースターに渋滞するのか、はたまた補強資金にびた一文も投じていないこのようなネット弁慶の戯言を完全に吹き飛ばして、契約相応の活躍をするのか。楽しみです。これだからヤンキースファンはやめられない。前者になったらそれはそれでおもろい。ヤンキース関連のSNSが大荒れするだろうからね。丁度ヤンキースを本格的に追い始めた2016年シーズンはトレードでシーズン捨てましたけど、あの時は当時の有望株を大量に手に入れられるくらいベテランの価値がありましたからね。なおその時獲得した有望株の結果は…

さて、メジャーリーグに全く興味のない方にはただの暗号を書き連ねてしまいました。すみません。ここからは、タイトルと関係のある内容を書きます。まずは全体像から。一言でいうと、アメリカの授業に過度な期待を持ちすぎていました。正直日本でやり過ごす1学期と違って、意味を持たせたかった1学期だったので、総じて落胆しています。ここで、嘘をついて「充実してた」といっても仕方ないですし。どういう理由で落胆という気持ちになったかというと、好きな授業を講座名のみを見て履修しようとしたこと、グループワークやラボセッションがある授業を全く選ばなかったことのミスからでした。私は自分の興味関心に基づきスポーツ系の理論の授業2つと統計学と英語のライティングの授業を履修したのですが、統計学に関しては確実に一番履修をミスりました。確率とかの話で3年生向きの授業と書いてあり、なおかつ週3回かつ1回50分で、面白い話が聞けるなら楽しいだろうなと思いワクワクしていたのですが、蓋を開けてみたら今期履修した中で群を抜いて最悪な講座でした。なぜそのミスマッチが起こったかというと、シラバスを授業期間が始まってからしか公式には入手できないことを知っていたにも関わらず、事前に講座名をネットで検索して過去のシラバスを参照して講義の進度や難易度を想定する工夫をせずに初回に参加し、2週目あたりから講義の異常さに気が付いたということです。どのように異常だったかというと、授業がその場で聞いて理解するように設計されていなかったことにあります。1回目で{2,4}と{4,6}の共通の元は?とか言ってたのが、その2週間後にはフビニの定理を使って積分をしているんですからね。正気とは言えませんよ。ちとこれは現地の複数のアメリカ人に聞いてみないと分からないことで、これだけを見て一般的であると言うにはあまりにも偏っていますが、少なくともこの授業に関しては教授は超特急でスライドの公式や定理を粛々と話しているだけで、理解させるような話し方躓きやすいポイントに対する言及は一切なく、初見ではまず捌ききれないスピードで授業が進んでいってました。それで次第に講義に来る人の数は減り、試験だけ「え、こんなに受講者いたの?」というくらい人がいて何だか悲しかったです。3単位分の授業時間を確保するために授業を建前で週3回やっているだけにすぎず、実態は自学前提で作られている講座だったってことですね。日本の大学の数学の授業でももうちょっとマシな気がしましたね。他の授業でも学びはあったのですが、前も書いた通りこちらの人はとにかく授業が終わったら驚く速さで散っていくので、授業で深い友達を作るということは私には出来ませんでした。一言二言くらいは話せるが人いましたけど、そんなもんはよっ友でしょう。最初は多少無理にでも授業が終わったら話しかけたり、友達欲しいんだよねと言って声をかけて連絡先を貰うなんていうナンパ師みたいなことを最初の1カ月くらいは全ての授業で我ながら頑張ってましたが、会話する用も無いわけなので、今となってはよう分からん今後一生話さないであろう人のwhat's appのアカウントを何件か持ってるだけの悲しい状態です。また皮肉なのは英語の授業は留学生しかいなかったので、全員最初だけ気合が入って私もよく話しかけて頂いたものですが、1週間も経てば誰1人として話すことが無くなりましたよ。これも社会勉強の1つ。

あとは、英語が第一言語でないことから、アメリカ人の学力を過度に高く見積もってました。課題も英語のハンデが多いからキツいことが大半で、英語の要素を差し引けば日本よりこちらの方が単位を取りにくいというのは間違いなく幻想です。後で言及しますが、寧ろこちらの学生は単位を落としたら学生生活がほぼ終了なので、基本的にどうにかして救済をくれるシステムになってると思います。(これは確証がないです。履修する授業に依存します。)こちらの学生の賢いやつは日本と同様本当に賢いんですが、別にGPAを保つためにブーストかけて勉強するのがうまい人が本質的に頭が良いわけではないと思います。1年生向けのスポーツの授業では、積極的にいつも手を挙げている1年生の子達がいて、慣れないうちはこれがアメリカの挙手文化かぁと呆気に取られていましたが、ちゃんと内容を聞いてみたらほぼ声を出してるだけで、別に意味のあることを言ってなかった。こういう奴らは授業の進行をただ妨げているだけなので、その事実に気が付いて直ぐにやめた方が良い。こういう連中を見て挙手文化は少なくとも全部肯定すべきでないと気付かされました。この授業の教授は「バカな質問なんて1つもない」と初回で仰っておりまして、私もそれを過去の投稿で書いた気がするんですが、10秒くらい頭で考えればわかることを考えずにいちいち口に出して質問をするのは、それこそバカを地で行っているなと思いました。
ただ、その一方で意見を振られた時に結構鋭いことを言うな、凄いなと思う人もいたので、発言文化は一長一短ですね。このような自分の意見をしっかり授業を聴きながら、考え、そしてアウトプットできる人は見習いたいし、自分が欲しい能力の1つです。少なくとも皆がこのような感じならば、黙って講義を聴いているより確実に生産的だと思いました。静かに座っていて有象無象と化していることは、うるさいより幾分マシな日本の大学と逆で、静かに座っているだけの人は授業にとって無価値な人であるとの価値観を強く感じ取りました。

(以下の3段落は追記)そして、次期に向けての教訓ともし今後留学する予定の方が読んでくれていたら、その方に向けて2点!
1点目→取りたいと思う授業はシラバス、(教科書)を見て最終決定を下しましょう。異国の地で履修を中止して新しい授業に転換する決断を下すことはそう簡単ではないので、タイトルを見るだけでなくコース名を検索して過去のシラバスを検索するなどしましょう。あと、教授にメールをしてみるのもいいと思います。私の所属している大学は教授の連絡先も公開されていますし、よっぽど失礼なメールを送らなければ基本的にちゃんと返信してくれます。

2点目→もし2学期やそれ以上に学期を滞在するなら、最終的に目指したい姿から逆算して履修を組み立てましょう。自分の場合は2学期分のシラバスを見て、最善の履修を組む発想が足りておらず、その時点でベストの履修を組んだ自信はあったものの、後から見ると1講座の履修は不要だったという結論に陥りました。3、4ヶ月取る講座ですし膨大な金を注いでいるので、何時間考えても損はしないと思います。

あと、最後に大学一般の話について書いておきたいと思います。以上で書いた再現性のない私の個人的な話なんかよりもずっと重要な情報です!

まずは、GPAについて。これは非常に重要な事実だと思うのですが、まずはこちらでは高いGPAが企業から求められている(=就職できる会社がそれによって変わる)という日本と違った事情があり、成績の意識は日本とまるで違います。アメリカではGPAが高いことは良くも悪くも優等生を意味するようで、良い企業に入りたいなら、GPAは3.5以下ならばLinkedinには書くべきではないとの話も聞き、驚きました。これはGPAがどれだけ継続的にハードワークに耐えれるかのシグナルであると、企業が捉えているからです。だから、学生も単位を落とすなんて言うことはまずないと言って良いと思います。多分そんな人は早かれ遅かれ中途退学の道を選びます。あとは進学率の差もあるかもですね。(ここら辺の進学率や借金で学位を買うことの是非は今期エッセイで書いたテーマなので、興味がある人がいたらコメント欄にでも書いてください。)少なくとも「何単位落としたんだよね。」みたいな日本でのよくある会話はどの界隈であっても存在しないと思います。それが原因でオンとオフの切り替えが良い要領の良い学生が大半を占めているのだと思います。別に大多数の学生が勉強をしたくないと感じているのはどこでも同じで、普段は飲んで遊んでの人も、期末試験の前になると血相を変えてその期間だけ集中して勉強をします。しかもこの人たちの凄い所は、ちゃんと結果を出す人が多いんです。別にオンもオフもない自分は、たまにこの人達を羨むこともあります。陽キャ強し。

そして、最後に大学院について。日本の大学院と言えば、理系は修士号を取って就職という流れが一般的になってきましたが、依然として文系の人で院に行くのは金にもキャリアアップにもならず、茨の道に進んだか、研究者志望なのかなという印象を持ちませんか?私はそう思っています。それは社会全体が大学院を研究者の卵の養成所としての側面でしか見ないからです。アメリカでは、この面だけでなく、実学やハードスキルを得て更なるキャリアアップを目指す学生に対して、それらを提供するビジネスとしての側面を社会全体が認識しており、後者の人口が純粋に研究者を志願する人口よりも圧倒的に多いので、大学院に行くこと、少なくとも修士号を取ることはいかなる分野であっても至って普通のことみたいです。博士号を持って、民間に就職する人も数多くいます。そして、キャリアアップを志願して学費を全て払う人達の資金が原資となり、研究者の卵達の学費を免除するような仕組みになっていることを多くの人が知っています。こんな体験を経て、学士以降は「研究者にならないのに行ってもねえ。」みたいな大学以前に持っていた考えは完全に吹き飛びました。だから何だって話ですよね。自分にも分からない。

今回はこの辺で終わりにして、次は一足早く来期取る予定の科目とその理由の紹介であったり、就職活動について思うことについて投稿しようかなと思っています。

お読みいただきありがとうございました!感想、フォロー等お待ちしています。

それでは!


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