番外編#1 私について&MLBを見続けられる理由と余暇の過ごし方について
前回の投稿から随分と間が開いてしまいました。しかし、無理のない範囲で書いていくとの方針を持っているので、特に変えるつもりもなくのんびりと書き連ねていきます。今回は、#2のようなMLBについて細かい話をするつもりはないので番外編と書きました。なぜ番外編を用意したのかというと、私が思索にふけること、考えることが好きなので、普段野球と絡めて考えていることも別枠で書いてみたいとかねてから思っていたからです。
今回は、タイトルにあります通り、なぜMLBを趣味として持ち続けることが出来ているのかについて率直な思いを出来る限り言語化して綴っていこうと思います。突然ですが読者の皆様は、長年夢中になっている趣味や対象は何かありますか?
ではあったとして、なぜそれが好きであるかを考えたこと、好きであることを疑ったことはありますか?
上記のようなことを考えるようになったのは、自粛期間中に余暇をどのように使っていたかを自粛期間が明けたときに振り返ったことがきっかけでした。私は、周りの人間(友達等)と比較したときには決して多趣味な部類ではないと思います。(個人が定義する「趣味」の程度にも左右されますが。)また、ここ3年の休日は用事(外で誰かと何かをする)やルーティン化している生活習慣(トレーニングをする、散歩する、走る等)を除いて、ほぼ自宅で過ごしてきました。要は、用事が無ければ外には出ないインドアタイプの人間です。私が小学生、中学校の頃は毎日運動をしたり友達とゲームで遊んでいるタイプであったので、今こうして対極に存在する自分は何だか不思議です。
そして次がコロナ禍によって気づかされた自分の性です。それは、平日も時間的制約が緩い状況に立たされることで分かりました。平日は1週間のうちの5日間を占めますし、朝から晩までほぼ時間的制約はない毎日でした。(例えば、朝起きて学校に行って、習い事をして、勉強して、寝てのような繰り返しである毎日のことを指しています。)しかし、コロナ禍においてその制約から解き放たれ、人との接触の機会が図らずとも制限された数ヶ月の中で自分の余暇の使い方で違和感が無い行動は知らなかった本性ということになると思い、最近振り返るようになりました。
随分前置きが長くなってしまいましたが、私は、自分1人で時間を使うことが相対的にも絶対的にも異常なほど得意な部類だと高校生の時に気がつきました。(他人から見たら「浪費」にも捉えることができると思います。)自分が仲の良いと思っている友達には、今も昔もこの文章を書く調子で異常なほどに喋り倒しますが、所謂「陽キャ」とは全く違っていて過激だったりスリルを求めるノリは大の苦手です。また相手のノリや発する単語の種類から今後深い関係を持つ可能性の低さを薄々感じ取っていたとしても、野球という国民的コンテンツの1つについてほぼ当たり障りのないことを喋りその場をやり過ごせる能力をある程度身に着けたことで「geek(社交的なオタク)」に見えることもしばしばあるようです。そのために「自分は陽キャなんじゃないか」と勘違いしかけるそんな時期もありました。
さて具体的な余暇の話に移ります。余暇は主に他人に依存しないものを除けば、「MLBの視聴や情報収集」、(特に長期で休みが入ると占める割合が増えます。)「読書」、「最低でも8時間以上の睡眠」や軽い運動や慣性化している生命維持活動が主です。漸く1400字を超えたところで、MLBという単語を発した自分のプランニングの無さはご愛嬌でお願いします。ここで鍵となってくるのは、MLBの視聴をすることと夜型の相関についてです。(私の中では、「MLBの視聴をするから、夜型になった」のか「夜型であるから、MLBの視聴をするようになった」のかの因果関係は定かではないので相関に留めておきます。)私は、このように先天的か後天的なのかは分かりませんが、明らかに夜型の人間です。MLBは、日本に在住かつ普通の生活をされている方なら、例え長期休暇であっても生で試合を観戦を出来る時間にそう起きていることはないでしょう。(特に東海岸で行われる試合であれば、視聴が厳しいゲームが多いでしょう。かく言う私も、好きなヤンキース戦を生で見ることは未だに厳しいです。)特にこれといった趣味や外で行うような活動が習慣化されていなかった私にとって、夜型の面からもMLBはピッタリ嵌るコンテンツでした。
それでは次になぜ飽きていないかについてをきれいごと抜きで説明したいと思います。それは、フィールド内外で流れる情報の量が多くマンネリ化が起きにくい、ある程度知識を持つとより知りたくなる知的好奇心の本能が刺激され続ける正の循環が、1つ目の情報量の問題から発生すること、MLBというニッチなコンテンツ自体の性質の為に、日常生活においてそれに熟達した人と遭遇した経験が無く他人との差別化が現状できていることから、安い優越感を持ち続けることが出来ている、の3つが主な理由だと思います。1、2点目は他のMLB同好者の方々には共感して頂ける点であると思いますが、自分の場合は振り返ってみると、3点目の外発的動機である理由も多く作用しています。友達の発した「〇〇のおかげでMLBを少し見るようになった。」等の言葉は常にもっと詳しくなりたいとの本能を刺激してくれます。それがMLBを追う年数が増えるにつれ、そして余暇が増えるにつれ増してきたために、他の趣味と言えることが心の底から思いつかないような生活になったのだと思います。しかし、現状で社会生活に支障をきたしていない範囲のうちでは問題視していないので、否定的な文脈で書いてはいません。
最後にMLBと出会わなければ、確実に探求しようと思わなかったことについても綴ることで締めようと思います。(勿論、MLBに使った時間を機会費用の損失と捉えると、MLBに出会ってしまったために失ったもの、出会えなかったことも数知れずあるのでしょう。しかし、私は全くもって後悔をしていないので、議論の俎上に載せることはしません。)それは英語学習と実証分析です。私は英語は大の苦手でしたが、生の記事や情報を"自分の言葉で"受け止めるにはやるしかないと思いそれが動機となって伸びました。(絶対的に得意かと言われると”疑問符“が付きます。) 次は、実証分析についてです。勉強でいうと幾何的な思考や閃きが鍵を握る問題はひたすら苦手だったこともあり、数学全般に苦手意識がありました。そのためデータ分析の学習にも初めは拒否反応がありました。しかし、図や数字の言わんとしていることを理解したいとの思いがデータ分析の勉強につながり、今も苦手な数学的な学習の中で数少ない光る分野となっています。元々論理的に物事を考えることが苦手で感情で生きてきたタイプでした。しかし、最近のデータ分析の学習から、より「客観的に」、「定量的に」、そして「数字から見る根拠を持って」物事を理解、表現しようとする癖が少しづつ身についてきました。個人的には日常生活において、この傾向が進みすぎるあまりに常に合理性を信奉してその視点から人を判断する杓子定規の人間(つまりは衒学者)に近づくと、非常に空虚でつまらないことが身をもって分かったので、時と場合によって柔軟な心を持てると良いのかなと思っています。
長くなってしまいましたが、ひょっとしたら最初で最後になるかもしれない番外編として、自分の思いを綴ってみました。好評であれば、続編も書くかもしれません。次は#3に戻る予定です。お読み頂きありがとうございました。それでは!
画像は@RaysBaseball のTwitterから引用しました。
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