留学先でどう振る舞いたいかを過去を踏まえて赤裸々に。(文章量多め)
こんにちは。今回は、今までの自分の性格、思考、はたまた行動原理を形成した過去の人生を主観的に振り返り、留学を経てどのような部分に挑戦して行きたいかを赤裸々に綴っていきます。正直、このような記述を私に近しい人が読むと(過去の特定の出来事と結びつくことで)不快に思うことがあるかもしれません。でも、自分を変えるには己のセールスポイントだけではなく、弱いところに向き合い克服する必要があります。ですから、過去の人生を振り返りつつ、ここを変えたい、伸ばしたいということを流れなどは決めずに思うがままに書き進めていきます。(書いていたら私の人生を全て書く謎の超大作となり、字数が約5,900字に達してしまいました。また、敢えて文章の校閲を行わず、そのままの感情を打ち込む方針にしましたので、その点はご容赦ください。)
まず、私は留学を経て"自分の苦手なことから逃げない”, "自分とかけ離れた思考の人とであっても、とにかく人と話す機会を大切にする” "社交の場にはとりあえず出向く” ”何かに夢中になれる(これは必ずしも生きがいを見つける的な概念と一致しません)”、”身の回りのことを一通り自分で出来る”人間になれるように積極的に行動をしていきたいと思います。そして、強みであると思っている”コツコツと継続的に努力すること”、”自分を大切にしてくれる人が困っている時には絶対に自分が出来る手助けをする”といったことは更に伸ばしていきたいと思います。
私はNoteを完全なる自分語りのツールとして使用しているので、誰も情景や文脈を想像できず退屈だとしても、何の抵抗もなく以下で自分史を展開していきます。私目線で話は展開されるわけなので、当然バイアスはかかりまくりですが、お許しを。
小学校5,6年生編:私の現在の人格の大部分を形成したのは、幼少期というよりも小学校高学年からだと思っています。所謂中学受験というやつです。(ここから下はかなりネガティブな記述(未来のポジティブに変えるために!)が増えますので、不快に思ったら読むのを中断、辞めることをお勧めします。)私の小学校は高校までの進学が保証されていた私立学校であったのですが、中学で2つのコースに分かれる入試が存在しました。私の代(まで)は、片方のコースに行けない人間は、誇張抜きでエリート路線に乗れるレールから脱落した落第者というレッテルを張られていたので、外から見たら甘そうに見える内部進学入試でも親の威信が弱冠10何歳の子供にかかっていた一大イベントだったのです。このような背景に加えて、医者や富裕層の子息、子女が多かったこともあり、教員も多くを期待されていたのでしょう。私は小学校4年生まではそれこそ毎日のようにサッカー、水泳、茶番野球、友達との遊び、程よく勉強をする日々で、良くも悪くも何も考えずに楽しく毎日を過ごせていました。転機は小学校5年生です。私の担任はその当時の小学校で最も恐れられていた教員で、教育熱心な方でした。その方が担任に就任してから、小学5年生の全体(特に父兄)に受験を重視する風潮が広がりました。私立(主語が大きいかもしれません&旧時代の話かもしれません)はある種閉じられた環境にあるので、何かの不祥事があれば一気に広がりますし、雰囲気的なものは直ぐに蔓延します。私は勉強が得意な部類にはいなかったですし、先天的に勉強を好んでする環境にいたわけでもありませんでした。そこらへんの時期から、勉強をして片方のコースに進学しなければならないといった雰囲気を感じ、何よりも親や教員からの外圧が常軌を逸したものになっていきました。(中学に入ってからは文字通り自由にさせてもらったので、親もこの時期は自分達の威信をかけなければならないとのプレッシャーを感じていたのだろうと推察します。)この時期に習い事をやめ、四六時中勉強をしていたことから、今に繋がる歪んだ心が生まれていきました。また、正しい理屈も無いのに行動を制約してくる担任が大嫌いだったので、この人間が力を入れている活動には徹底的に妨害、抵抗してやろうと思うようになりました。クラスや学年の前で抵抗する勇気は無かったので、1人で抗議活動をひっそりやってたイメージです。例えば、運動会で学年全体が行うダンス的なものの位置を上手さ順で決める際に1人1人がカメラの前で踊りを行う際には、わざと何もしないで腕を組んで終始立ち尽くすなどして、ガキなりに抵抗をしていました。この担任は、今では有り得ないことですが、黙想の態度が悪いなどといちゃもんを付けて女子の机を投げたり蹴り上げるような人間で恐怖政治をしていたこともあり、次第に気に入られるように媚びるような層もいました。私はこの辺りの時期から自我が芽生え、嫌な人間は嫌だと公言するようになり、数回は手も挙げられるほど一匹狼を演じるようになりました。私は小学生ながらこのような曲がった人間達が心から嫌いで、いつしかこれが原因でイベントと呼ばれるものが心から嫌(というよりも苦手)になりました。イベントというと、この教員に媚びていた苦手な学生達が先導して皆に熱くなれよと言っていたあの地獄のような雰囲気を思い出して重ね合わせてしまうのです。この経験から、今日に至るまでイベント全てに対して斜めに構えて、俯瞰しまるで達観するような悪い癖が形成されてしまいました。
中学編:そして、恐らく懸念であった幾何系の分野と理科で大ヘマを犯し中学受験がまさかの失敗に終わったことで、自分の周りにいた友達は皆いなくなり、私が選民思想を持って蔑んでいた人達と同じ環境で中学生活を送ることとなります。最初は受験に落ちたショックで、高校受験を企んで人生を変えようとしましたが、両親の落胆などを肌で感じていたので次第に無気力になっていきました。高校受験の塾では、最初はぶっちぎりの成績で入塾したものの、6か月後には貯金が尽きてほぼどん底の成績となり退塾し、こんな斜に構えた態度で入学したので部活に入らず学校にテキトーに行き家ではゲームをする日々でした。次第に勉強から離れたいと思うと、なぜか直ぐに良くない友達が出来て、中3の夏まで彼らと遊び惚けていました。そこで高校受験が到来するのですが、今から振り返るとよくここで勉強をしたなと自分を褒めてあげたいです。この辺までは偏差値の捉え方すら分からない本物の"ヤバい"奴に成り下がっていましたが、何とか高校で再起して、中学受験で成功した人達を見返したいと思い、猛勉強しました。その結果、高校受験では内部進学ではありますが、成功しました。
高校編:高校生活は端的に言うと、最高に楽しかったです。でも、要因を分解すると全肯定しきれない部分もあります。私の高校は、中学校から受験に成功した内部生と外部から入ってくる外部生で構成されていました。外部生は県内の超トップ校の受験で振るわなかった層が多くを占めていたこともあり、高校に入ってくる時の心の持ち方や内部から進学した人間への見方が私の中学に入学した頃のまさにそれで、同志そのものでした。この経験を話すと私が内部生であっても直ぐに心を開いてくれて、この系統の高校では珍しい旧高と新高の生徒が仲の良い稀有な人間となっていました。私は中学校時代の後悔から何か運動をしたいと思い、体育会系の部活に入ります。しかし、私のクラス、学年はとにかく私の中学校時代のような挫折を味わった故に無気力状態に陥っている人間が多く、帰宅部率は脅威の7割越えでした。(分母は200人強います。)このように私の逆張りや無気力を矯正するどころか強化する居心地の良い空間が展開されていたので、全てにおいて無気力で生きていたと思います。受験勉強も中途半端で、意欲が無く投げやりの時はもうそこらへんの大学に行けばいいやと思ったりもしていました。当時の私は勉強をしてそれなりの大学に行くことの価値が真面目に考えても分からず、最悪のメンタルの時は近くのボーダーフリーの大学に行こうと真剣に思っていました。文化祭などの行事は高校1年生だけありましたが、いかにして面白い企画をしようかではなく、いかにしてサボってその時間で遊ぼうかと考えるような外から見たら異様な集団だったので、とにかく居心地がよかったです。これは今でも覚えていますが、文化祭当日は帰りの出欠確認が無かったので、朝に出欠確認を取ってから私も含めてクラスの9割が他クラス、部門の企画に行かずに学校から一斉に退散する出来事がありました。このような感じだったので、恐らく高校生活は一般的に定義される「青春」なんてものとは対極の生活を過ごしていました。まあこの高校生活は楽しかったので、後悔したことはありません。ですが、大学生になった今、やはり周りとのズレや自分自身の歪みを感じずにはいられません。
大学編:こんな感じの心の持ちようで大学に入ったので、入学時は逆張りの態度、俯瞰的な思考、やる前から物事の価値を判断する癖で生きていた最高潮の時期になります。だから、正直コロナウイルスによって様々な背景のある人と接する前に自分自身を見つめ直す時間が与えられて私は本当に救われました。何もなく大学に行っていたら、間違いなく逆張りをしていてウザイだけの無気力ニートで4年間が終わっていたでしょう。下手したら、大学の勉強は実学と接点が無い、意味が無いからどうのこうのと幼稚園生でも言いそうな屁理屈を捏ねて卒業できていないかもしれません。私は幸いにもアルバイトをしなくとも大学に行くことが出来る金銭的余裕のある家庭で、かつ逆張り思考の頂点にいたのでバイトは時間の無駄と当時は言い切り、そこで行動の認知的不協和を生み出さないために永遠に勉強に励んでいました。大学に入ってから本腰を入れて勉強に励む人間などそう多くはありませんから、入学して初めての学期は自分でも驚くほど成績がとんでもなく良かったのです。そこから、次第に勉強に励むようになる中で、人との出会いに恵まれていきました。つくづくこの始点の逆張り行動の先が勉強に向かってよかったなと思います。1年生、2年生の時にオンラインで出会ったレベルの高い学生と友達になり話を聞くと、勉強への態度だけでなく人格や教養にも優れていて、段々と自分との意識の違いを実感する機会が増えました。更に、彼らに共通していたのは、何かに熱心に(夢中に)なっていて、無駄な思い込みや偏見が少ないということです。私は散々書いてきたように、イベントや”華やかそう”と直感で思うものはまず毛嫌いし、とことん忌避してきました。(これは、全く治っていません。)こんなものは心の持ちようだと思いますが、無気力で何かに向かって努力せずただ漫然と時間が過ぎるように生きることは何としても改善したいと思います。理由は単純で、こんな人間ほど何も努力しないくせに、文句だけは人一倍言います。そして努力しない人間は、ビジネスのセンスがある、音楽や絵の才能に溢れているとかの例外を除いてほぼそれ相応の生き方を求められるのではないでしょうか。だから、野心があるとかないとかに関わらず、努力しなければほぼノースキルなわけなので、自分の生き方として薄給にもかかわらず永遠にしがみつきながら働く凡人としての姿が容易に想像できました。そして、完全なる偏見ですが、このような人間は全てがどうでも良くなり、なんか社会に文句を言ってる感じの厄介な人となり、年を食って、周りから人はいなくなる気がしました。それはいくらなんでも…という感じですし、自分はこの道に進みかねないので、四の五の言わずに努力だけはしたいと思っています。
以上を踏まえて留学先での抱負:ここまで辿り着いている方は果たして何人おられるのでしょうか?というより、います?既に4,000字書いてます。もう大ファン間違いないです。調子に乗りました。以下も読んでください。
私は、薬などがまん延しているイベントなどではない限り、とりあえず可能な限り社交的な場には参加することを目標にします。そこで、他人に迷惑をかけなければ多国籍のパリピから何か学べることはあると思います。
あとは、色々なことに興味を持って生活をしたいです。スポーツなどは興味はありますが、それだけではなくその土地、人、歴史なども含めてアンテナを張り巡らせて毎日を送りたいと思います。
最後に、独力で身の回りのことをこなせるようになりたいです。私は生まれてこのかた一人暮らしをしたこともありませんし、家事の経験はほぼ0に等しいです。初めての1人での寮暮らしなので、洗濯、料理、掃除など今までは親に依存していた部分を最初は苦戦すると思いますが、自分でやらざるを得ないので頑張りたいと思います。
締めとして、英語力を上げることについて書きます。留学経験者の友達からの話を聞いていて思うことは、留学が成功した部類に入る人は皆その効果を副次的に得ている、つまり後付けで得ている気がします。なんか毎日を必死に頑張ってたら、英語力は後からついてきてたみたいなイメージです。慣れるのには3カ月かかると聞くので、それを信じてSNSやNoteに愚痴を垂れ流しながら何とか頑張り続けたいと思います。英語力は勿論上げたいですが、その点で気負いすぎて毎日を楽しめなくなると勿体ない。このように思うので、英語を話す機会には全て飛びつくことで、勝手に英語力があがるように行動原理を変えたいと思います。
以上のことを口では言うのは簡単で、行動に移すのは難しいのは百も承知です。でも、考えを整理して1歩踏み出すための戦略を考えなければ、結局大きな赤ちゃんでしかない自分を何も変えられない。だから、恥を捨てて赤裸々に語ることで、過去を受け止めた上でこれからの生きる方向をより良いものにしたい。その第一歩を留学にしたいとの覚悟で書いています。また書くことで後から何度も見られますし、思考の変化を確認できるので記録することは非常に有用だと思うのです。この留学先でどのように振る舞いたいかを考えた次のステップとして、留学先で「どこに行きたい」を考えることで、行動の質が劇的に良くなるのではないのでしょうか。人生は選択の連続なので、その時に手元にある選択肢の中で最善だと思えるものを選べたらそれで良いのです。だから、成長した(事実が確定した)未来からあれをしとけば良かったと後悔しがちなのが人間の性ですが、そんなものはやる前から考える必要は無いので、取り敢えず恥を捨てて、がむしゃらに頑張りたいと思います。私は留学を経験した友達からもらった次の言葉を頭の片隅に浮かべながら頑張りたいと思っているので、締めはその一文とします。
1年でも人生は大きく変えられる。留学は金と時間がかかっている。その分リターンを得ようぜ。
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