手が届かないという感覚
こんにちはこんばんはすなねこです🐈
この前ミスiDの最終面接がありました。ついにファイナルまで来てやっと対面の面接。コロナ禍でいろいろと難しかったミスiD2022も、ついにファイナル審査まで来ました。
そんな中、私が今まで何となく心の中にあったもので、最終面接から帰ってきてそれについてすごく思うことがありました。そのことについて書かせていただきます。
※この文は該当しなかった人が努力不足だとかそんなことを言いたいわけではありません、あくまで私の中だけでの感覚です。そして、私が今まで頑張ってこなかったというわけでもありません。ご不快に思われても責任はとれませんので自己責任でお読みください。
受からない、という感覚
昔からなんとなく、なんとなくですが「もしかしたら受かるかも」「あ、無理だ受からないかも」という感覚を覚えることがありました。
記憶にある中で、その感覚を思い出せる最初の記憶が高校受験でした。地元で1番の進学校を受験した時、「あ、多分受かるな」みたいな感覚がありました。私は泣き虫なので、きっと受からない感覚があったら試験が終わり次第泣き喚いてたでしょう。だけど、なんとなく大丈夫な気がしたんです。なんとなく、ラインを超えていけた気がしたんです。
そして、案の定受験は合格して春からそこの高校に通うことになりました。
その感覚、実はオーディションを受けた後によく感じるのです。
私は今までたぶん3桁近い数のオーディションを受けてきました。アイドル、芸能事務所、モデル、そしてミスiDも。
その中でいつもオーディション会場を後にした時に感じる「あ、受からないかも」という感覚。大体当たっていました。何となく自分の中で手が届かないってわかってしまうんです。だからといって努力してないわけじゃない、ポージングもダイエットも頑張っていました。高校生の頃から活動をお休みするまでの数年間、大学には通うものの、モデルの活動やオーディションを受けて夢に向かって頑張ることが私の生き甲斐であり私を保っているものでした。だけど、オーディション会場を後にしたあとの「あ、だめだったかも…」という感覚。合格のラインを超えられないという感覚は本当に手が届かない時のようにどうしても届かなくて悲しくて。
そして、その感覚を久々のオーディションで感じました。そう、最終面接で。
この前受けたミスiD2022の最終面接。
面接が終わったあと、「あの感じ」がしました。冬の冷たい雨の中で飽和状態で何も考えられずトボトボ帰ってきて…そしてシャワーを浴びる時に感じたんです、「あ、ファイナリストまできたけど賞とれないかも。」という感覚。
でも、最終面接は言いたかったことをちゃんと言葉にして伝えられたし、自分でも「もっとこうすればよかった…」みたいなのはないんです。私が今やるべき最大を面接でやったんです。やることはずっと決まっていました、そしてやっとできました。ちゃんとできました。
そして、毎日写真も投稿してSNSも頑張って時々配信もして…。私のやり方でしか頑張れないけれど、だけど胸を張って「私は最大限頑張っている」と言えます。それでも感じてしまった「あ、届かないかも」という感覚。
「諦めなければ夢は叶う!」というけれど、今、この瞬間叶うかどうかは別の話です。私だってオリンピックで何かの競技で金メダルを取ることはできるかもしれません、めちゃくちゃに頑張って諦めなければ。でも、「今叶うか?」と言われればこれは本当に不可能です。その能力、体力が「今、この時点」では無いから。
ファイナルの審査対象が「最終面接」だけだったらもしかしから本当に賞をとることはできないかもしれません。だけれど、これからの行動でどうにでも変えられると思うんです。だから審査期間いっぱいは自分のできる最大限の「頑張り」をしたいと思います。
今、手が届かない感覚があってもこれからやっていくことを考えれば不可能では無いと思うんです。というか、不可能では無いです。だから私のやり方で、私にしかできないやり方で「すなねこ」の存在、生き様を全面的にアピールしていこうと思います。
私は言霊ってあると思ってて、だからこの文を書くのもすごく怖かったんですけど…。今、それ以上に「あ、多分最後までこうこう、こうしていけばなんか届くかも」という感覚が出てきたので書きました。
だから審査員のみなさんだけでなく、本当に皆さんにみてもらいたいです。私の生きている今を。軌跡を。
私は発信します、だからちゃんと見ていてください。
すなねこ🐈