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#永遠を探す日


本日「永遠が通り過ぎていく」上映イベントに行ってまいりました。
たくさん頭の中に言葉とか考えとか思ったこととかあるからここに書かせてください。

それと、私はなにか感想を言ってもしそれを受け取った人が悲しくなってしまったら…って怖いのだけれど、とりあえず心がいっぱいだから綴らせてください。



映画というのは私にとって怖いもので。というのもパニック障害があって暗いところ、大きな音、密閉空間がとても苦手で…。映画館というものをできるだけ避けて生活してきた。今回もイベントのことは知っていたけれど小林さんが激おししてるのを見て、「これは見た方がいいやつ…」と思った。小林さん本当にありがとうございますおしてくれて…。

でも前日いろんなことが重なって結局具合が悪くなって、結局私は映画も見れないんだ、見たいものも見れない、なんで自分は…と堂々巡りしていた。
本当に悔しかった。映画が見たいのに。普通がいいのに。

当日、今日の話。
朝から程よく調子が良くて会場に行けた。行けた。よかった。すごく嬉しかった。やっぱり会場では緊張はしたけれど行ってよかった。本当に行ってよかった。


映画のお話。

私は映画のことも全くわからないし芸術的センスは皆無だから本当にわかってんのか?と自分でも思うので、人が思うことは自由だよって思うけれどいやそれは流石に違うでしょ!って思われたらすいません…。


私は1ヶ月くらい精神科の閉鎖病棟にいたことがある。春の桜が満開の時期。外では小鳥がないて庭の桜の花びらが冷たい春の風に乗ってどこかに飛んでいく。
映画の中のことがなんだか重なって。閉鎖病棟の独特の雰囲気。何かすぐに暴れ出して壊れそうで、でもみんななにか抑圧して変に静かでのどかで。変な平和。ここでは傷つかない。傷つけない。
映画の状況はまた違う話だとは思うけれど、自分を重ね合わせてしまった。
何にも傷つかない、傷つけられない代わりに自由のない世界。桜が散るのを格子状の窓から眺めた。数日に一回の入浴日。お風呂あがりにそっと窓を開けて鉄格子からできる限り手を伸ばして少しでも外の風にあたろうとした事。冷たい春の風に桜の花びらが舞って、小鳥が鳴いて。すごく自分が切なくて可哀想で惨めで。

私が閉鎖病棟を出る時、固く閉じられた扉は看護師さんが開けないと開かない。一瞬で外の世界に出る。振り返ってもそこにあるのは仲良くなった患者さんの顔ではなくてただの無機質な壁。一瞬で閉鎖病棟と外の世界が隔てられてまるで夢だったのではないか?というくらい自由な世界に出た。まだあの病院にはみんないる。でももう会うことはない。こんな壁一枚で、されどこの厳重な壁と扉で。もう会えない。
私は外に出てしまった。私は自由を手に入れた。私は。



映画の後、トークショーがあった。その中で戸田さんと根本さんがお話ししていたことについて。
映画にすることで自分を分散する。映画を見てそれで救われる人がいるといい。そのタイミングでその人が演劇、映画に出会えるといい。
そんなお話をされていた(理解違いでしたら申し訳ございません。)

私は今日もしかするとその日だったのかもしれない。私の閉鎖病棟での気持ちが悪いくらいに平和な日々が、戸田さんの映画によって救われた。私の中の思い出が綺麗なものになって、自分の中から外に出て行って、そして綺麗になって戻ってきた。すごくすごく嬉しかった。
こういう映画の鑑賞の仕方は、もしかしたらとても失礼なことかもしれない。映画について無知すぎて本当に申し訳ないけれど、私の思い出が救われた気がして。

本当にありがとうございました。

戸田さんとお話ししたときにわっと泣いてしまった。みなさん驚かせてしまって申し訳ございません。嬉しくて救われて嬉しくて、でもどう伝えていいかわからないし、本当に私は、今日映画を見ることができてよかった。本当によかった。本当にありがとうって。泣いてしまって逆にご迷惑おかけしてしまったかもしれない…。大変失礼いたしました。でも本当に嬉しかった。というか過去がたくさんブワッと溢れていい意味でこぼれ落ちて。

この、私の中の今日の時間がパンパンに気持ちを埋めてくれていて、今こうして時に綴ることが幸せで。不思議でなんだか夢のようで。帰り道ぼーっとしながら暗闇を歩くのに少しだけ雨が降っていて心地よくて。

私はこの、今日の時間を、気持ちを大切にしたい。
本当に、本当に映画にしてくださって、そして観ることができて、ありがとうございました。

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