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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

怪物②

怪物について書くやつの②です。
引き続きネタバレになる要素を含むので、もしこれを読んでいただけるなら是非映画を観てからにしてくださいね。
前情報を入れずに観た方が面白いのは保証します。

今回は映画の内容に触れていきたいと思う。(前回も触れてはいたけど)

ネタバレ込みなので前提の確認は省かせてもらうけれど、みなさんは「怪物」を見つけましたか?

僕は映画を観る前に公式の情報すらほとんど見ていなかったために怪物探しこそしなかったものの、母の視点では保利先生をおかしな人物と認識したし、保利先生の視点ではその認識をひっくり返されることになった。

しかしそれは映画のストーリー、演出としてそう来るとは思わなかった、という話で、じゃあ「怪物だーれだ」?と問われてもそこに明確な答えはなかったように思う。

見方のひとつとして、怪物探しをする自分(視聴者)が怪物なのではないか、というのもあるが、僕にはそれはいまいちしっくり来ないのだ。

それでも「怪物」がなんだったのかを考えるのであれば、それは登場人物それぞれの想像力と配慮の欠如だと思う。

湊の母、早織は、突然髪を切る、靴を片方なくしてしまう、水筒に泥水が入っているなど、息子の行動がおかしいと感じるが本人にきちんと理由を聞くことをしない。それでいて余裕がなくなって息子を問いつめる。初めは確認のつもりで学校に出向いた様子に見えたが、雑な対応をされるうちに真実はなんだったのかという視点を失い、学校と戦うことに意識が寄ってしまっている。ついでに自分の中に偏った見方や意見がないかをチェックすることもできていないため、「家族っていう一番の宝を」などと言い湊を追い詰めてしまう。僕だったらあの場面でそんなことを言われたら絶望してしまう。湊は依里のことを気にするあまりちゃんと聞いていたか分からないけど。

保利先生は被害者寄りではあると思うが全体的に対応がまずい。生徒が教室で暴れた場合も、止めようとしたとはいえ怪我をさせてしまった場合も、派手な喧嘩でお互いの服が色とりどりになってしまった場合も、とにかくすぐ保護者に連絡は入れなきゃいけないでしょ。「本当は職員室に報告しないといけないんだけど……」じゃないのよ職員室に報告はもちろん保護者にも電話しなさいよ。学校で子どもを見ていられる時間には限りがあるよ。
そして教室で問題が起こったときの経緯の確認が雑すぎる。口頭でちょっとなげかけたくらいでその場でいじめについて発言できる子なんてそうそういないぞ。
あとほかの職ならともかく教員ならもっと色々配慮してくれ。子どもとかかわる仕事だ。要らん価値観の再生産をやめてくれ。悩んでるのに「男らしく」とか言われる湊と依里。心がつらいよ。

湊は……まぁ歳が歳なので色々仕方ないと思う。やり方は色々まずかったけど悩んでる小学生の反応らしいと思う。男の子が好きでもいいのよ……楽しく生きてくれ……。でも人を貶める嘘はだめだよ。

その他の人。
校長以下学校の人々。ほんとに教員やめて欲しい今すぐ。子どもの言動を鵜呑みにしすぎ。子どもから目離しすぎ。特にあの名前わからんけど教頭と神崎先生と一緒にいる人。どの場面も寒気するわ。あと保利先生を下に見てて視野の狭い神崎先生。湊が2年の時の作文への対応の優しさがあっても救えないぞ。

記者2人。訴えられろ。特にカメラマン。

クラスのいじめっ子たち。本当に許されないお前ら犯罪だからな色々。裁判になれ。負けろ。

などなどもろもろ。
学校の対応は本当にまずい。ひどすぎる。

脚本の坂元さんが下の記事のインタビューで加害者の主観になって体験してもらうためにはどうすればいいかを考えていたと話していた。

この記事を読んですごく納得した。

それぞれのキャラクターの言動には、悪いことをしよう、苦しめてやろう、とかの悪意から生まれたものはほとんどないと思う。あるのはいじめっ子くらい?

子どもを守るため。学校を守るため。自分を守るため。友だちを守るため。秘密を守るため。

起こったことの裏には見えていない理由があって、それをないがしろにすることは相手にとって加害になるかもしれない。

自分がもしかしたら知らずに他人を傷つけたり、加害を助長したりしているかもしれない、ということを意識できない、想像できないことが「怪物」を産むんだと思う。

これは映画と関係の無いところで常日頃思うことだけど、「全てを知っている、わかると思うこと」は悪だと思うのだ。

家族のことも友だちのことも、同僚のことも、似た境遇や性質の人のことだって、全部は分からない。100%同一の人間なんて存在しないし、思考をすべて共有することも出来ない。だから分からないことは分からないと言うし、誰にでも尋ねて自分の考えの糧とする。その姿勢を持てれば、「怪物」を産まずに済むだろうと思う。

知っている、分かると思えば、見落としている可能性に気付けない。自分は分かっている、と思うから価値観を押し付けてしまう。まさにそれが「怪物」の姿じゃないか。

ここまで色々書いてきたけれど、この映画を観て、大袈裟かもしれないけれど共感できる部分が多く「僕のための物語だ」と感じた。

セクシャリティ、教育、親子の関わり。考えさせられる部分も多かったけれど、自分の価値観を再認識させられて、深めるきっかけになった。

火事の真相も、校長の孫の件も、嵐の中ずぶ濡れの校長の意味も、保利先生とか湊とか依里のその後も、描かれていない気になる部分は沢山あるけれど、想像というか希望を書くことにしかならないので書かないでおきます。

(依里の父は本気で許せん。)

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