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カミングアウトは誰のものか
自分のセクシャリティをできるだけ軽やかに話すようにしている。
それ自体は特に大事でもないかのようにさらっと。
事実、僕にとってはもう大して重要なことでもなくて、職業柄、まあ啓蒙活動というか、理解促進というか、そんな気持ちでいる。
別に必要がなければ言わないけれど、結婚しないの?とか彼女いないの?とか話の流れが恋愛や家族観に向いたらすぐ話す。
大抵の人は、こちらが深刻そうでなければ深刻そうに対応はしてこない。
興味をもってあれこれ聞いてくれる人、周りにいないからよく知らないと話す人、二度と結婚や恋人の話を振ってこなくなる人。
対応は様々だけど、大して気にもならない。ただ興味を持ってもらえるのは嬉しい。
でも時々、受け入れられないとか許容できないとか、そういう反応を見せる人がいる。
そういう反応をされて何か言われても僕はダメージを負うことはないのだけれど、どう対応しようかなと考える。
そういう人の中には、残念ながら知識が足りないだけで、知識が足りないということに気づけない人もいる。
理解へのステップとして動揺・反発が起こることもある。個人の気持ちは自由だが、その気持ちを面と向かって表現出来てしまうのは少し恐ろしい。目の前にいる僕に対しての配慮くらいはもっていてほしいものだ。
そもそもみんながみんな受け入れられたくて話すわけではないし、許してほしいわけでもない。その必要を感じることもない。
僕の場合、あくまで話の流れ上、言わないと異性愛者だと思われて会話が行き違うから話しているのだ。
自分たちが許して受け入れてやる側なんだという意識が無意識にもれてしまう人とはそもそもその認識がずれていて分かり合えない。
それでも伝え続けなければならない。
あなたに認められなくても僕はこうして生きている。ここに生きている。僕は僕のまま、生きている。
いつか、どんな性質を持つ人でも、誰に許しを請わなくても、どんな道を選んでも、自分を認められるよう、僕はただ僕らしく生きていく。
僕のカミングアウトは僕の戦いで、僕のためのものなのだ。