「人と共に在る」ということ
人といっしょにくつろぐ努力を
佐々木正美さんという児童精神科医の方が書かれた「子どもへのまなざし」という本の一説。
(1998年に初版発行後、なんと今日に至るまで50回以上重版されている名著。)
先日改めて読んで、心に響いたのでnoteに残しておきたいと思い、カタカタ。(心に刺さる箇所が他にもいーっぱいあったので、気になる方は是非読んでみてください。)
人が、人と一緒にいるよりひとりでいることに気楽さを求めるようになった要因のひとつとして、本の中では各家庭の経済的な自立が挙げられていた。
あとあれですね。一人で楽しめるツール(SNS、動画、ゲームなどなど)が昔と比べると圧倒的に増えたこと。
私の話をすると、私はかなり人と一緒にいたがる方だと思う。
それはきっと、下記理由からなのかなと勝手に思っている。生まれ持った性格もあるかもだけど、育った環境が大きいのかなと。
①自分が双子だった為、物心つく前から常に隣に片割れがいた。
②小学生の頃学童保育に通っていて、放課後~夜暗くなるまで毎日小学生同士で遊んでいた。(そしてこの時間がめっちゃ楽しかった。)
ただ、自分に子どもが生まれると「人と共に在る」ことのハードルがガンッと上がった。コロナの影響も計り知れないけど、そもそも小さい子がいると、行く場所・時間帯も限られるし、突然発熱して前日にリスケとかもあるし、昼寝のタイミングとかこちらの都合も出てくるし、誘われる機会も減る。
さらに最近は我が子が4歳になって普通に会話できるようになってきたこともあり、子どもと2人で過ごすことが以前ほど大変じゃなくなってきた(言葉が通じなかった時は、大人と喋りたくなることが1日に何度もあった)。故に「人といっしょにくつろぐ」ことが若干わずらわしくなってきている自分がいた。何が煩わしいのか。例えば誰かと一緒に夜飲みに行くとすると必ず下記ステップは踏まねばいけない。
①まず誰に声をかけるかを考える(何人も呼ぶならその人たち同士が意気投合しそうかまで想像を巡らせながら)
②日にち、場所、時間の調整(その人の状況/独身なのか小さい子がいるのか酒は飲むのか家はどこらへんなのか等を考慮しながら)
何気ないことだけど、けっこうエネルギーを使うのだ。(といっても私は比較的ここら辺をライトにかつ、断られてもあまり気にしないたちなので、さくっとやるけど。笑)
この本を読んで改めて、↑のようなわずらわしさを乗り超えて、ちゃんと人とくつろぐ努力をしたい!と感じた。「人といっしょにくつろぐ」ことを諦めたくない。自分の為にも。子どもの為にも。
誰とくつろぐのか
このnoteのタイトルを考える時に、「人と共に在る」か「人と共に居る」か迷った。そこでふと、「在る」と「居る」の違いってなんだ、、、?と思ってChat GPT3.5に聞いてみたらこんな答えが返って来て妙に納得。
そうそう、なんだか東京で色んなイベントに参加しまくってた頃はただ「人と共に居る」って感じだった。ヒト・モノ・カネ・情報に溢れていてとても刺激的で楽しかった。でも不思議とあんなに多くの人がいても、なんとなく満たされなかったり寂しさを抱えたままの自分に気付くこともあった。知らない人たちと交流することも大事だけど、やっぱり一番は気心知れた友人や共感し合える仲間たちと他愛もないことで笑うことだよなと。誰と一緒にくつろぐか、いかにそんな仲間たちをつくるかが大事。子供の頃は量かもしれないけど、大人になると質重視。量ばっかたくさんは疲れちゃうw
ただ人と一緒に居ればいいのではなく、お互い信頼し合って共感し合える部分がある人たちと、共に在りたい。
そんなことを思った夜でした。
ちゃんちゃん。
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