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私の推し活 EP3:成長期

※当時の文化・慣習に触れる上で、一部誇張した表現を含んでおりますことをご容赦願います。

推しとの距離感が近いアイドル現場は、それに比例してヲタク同士の距離も近くなる。

ヲタクとの距離感で言うと、現場の回数を重ねていくうちに、世代を越えて仲良くなる人が増えていった。遠征旅行はもちろん、現場の有無に関わらず飲みに行ったり、遊びに行ったり、最終的にはヲタクの花嫁姿まで拝むに至った。

社会人になってからも友達ができるとは思いもよらず、まるで失われた青春の記憶を補完しているかのようだった。今だに仲良くしてくれている人たちとは、これからもその関係を大切にしたいと思っている。

このように、ヲタクとは仲良くするに越したことはないのだが、推し被りとは一定の間合いをとらなければならなかった。

推し被りの空間では「推しからどれだけレスをもらったか」とか、「誰が推しを一番前で見るのか」などのマウントの応酬や、握手会や撮影会の順番をどのヲタクが締めるかという「鍵閉め」争いなど、推しとの距離を縮めるための熾烈な攻防が繰り広げられている。

このような、刺すか刺されるか一触即発の状況において、推しとヲタクたちの点が線となって結びつく時がある。それが生誕祭と呼ばれる、推しの誕生日イベントである。

生誕祭では、アイドルの運営側だけでなく、ヲタク側が委員会の体で企画を立案し、メッセージアルバムやバースデーケーキ、スタンドフラワーなど、様々なアイテムで推しの晴れ舞台を演出する。

TPDにハマった2014年前半、時を同じくして、先の友人にデビュー間もない京都のアイドル、ミライスカートを教えてもらい、関西では彼女たちを中心として現場を回っていた。

ミライスカートは当初CDを販売しておらず、ライブハウスを主軸に活動していたが、小規模であるが故、ヲタクたちとも深く交流していた。生誕祭についても、仲間内でアイデアを持ち寄り、周りを巻き込んで盛り上がった。

一方TPDでは、私が通い始めた段階で、メンバーごとに古参のグループが形成されていた。煩わしいことは避けたかったため、しばらくは推し被りのグループとは間合いを詰めることなく、傍観する側に回っていた。

しかし、すでに生誕祭の楽しみを知ってしまった私は欲望を抑えきることができず、意を決してグループとコンタクトをとることにした。

推しへの思いは十人十色であるが、そこに愛情があるこに変わりはない。ひざを突き合わせてみれば、今まで抱いていた不安は杞憂だった。生誕祭を盛り上げようと、素直な気持ちで話し合うことができた。

そうして初めて参加した2016年8月、上西星来20歳の生誕祭では、普段のキャラクターからは似つかない、彼女の嬉し泣く姿を垣間見た。推しとヲタク、お互いに感謝の思いが通じ合えたような、記憶に残る一日となった。

生誕祭のために思考を巡らせる時期は大変であったが、それ以上に得る物も大きかった。計画や段取りなどのビジネススキルも活かせたし、「今の仕事をやっていて良かった」と一瞬でも思うことができた。

かつて憧憬の念を抱いていたマスメディアの世界とは縁遠い業種にいるが、一介の素人がエンターテイメントの現場に少しでも触れられたことは、幸せだったのかもしれない。

長らく関わらせてもらった、推しとヲタクにとっての特別なイベント。思い残すことはない半面、TPDのメンバーとしてはもうお祝いができないと思うと、若干の寂しさがある。

(続く)