私の推し活 EP1:黎明期
2021年9月30日に活動を休止する、東京パフォーマンスドール(以下、TPD)に思いを寄せて、これまでのドルヲタ人生を振り返りたい。
※当時の文化・慣習に触れる上で、一部誇張した表現を含んでおりますことをご容赦願います。
2014年5月24日。場所は大阪・天王寺にある商業施設、あべのキューズモール。この日はTPDの1stシングルのリリースイベントが行われており、当時会社の同期であった友人に誘われ、何となく会場に向かった。
何となくとは言うものの、この頃はももいろクローバーZ(以下、ももクロ)のライブに足繁く通っており、ドルヲタとしての素地を十分に固めていた。
ももクロについては、2011年頃に山里亮太やバナナマンのラジオでその存在を知った。それから1年くらいはPerfumeやAKBと同じように、在宅コンテンツとして彼女たちのライブを楽しんでいた。
元来インドア中心の生活だったため、アイドルは画面越しで見るのが当たり前、現場へ行くなんておこがましいと思っていた。
在宅ヲタクを続けるうちに、当時流行していたmixiにおいて、ももクロのファン、通称モノノフのコミュニティに入ることになる。ある日、そのコミュニティでオフ会が開催されることを知り、物は試しに参加することにした。
この集まりが思いのほか楽しく、ドルヲタに対する印象も陰から陽へと一転した。そんなモノノフに触発され、一度はライブを見てみようと、2012年3月に横浜ブリッツのツアー公演へ行くこととなる。
この約2ヶ月前、Perfumeのライブを見るためにさいたまスーパーアリーナへ行っているのだが、会場があまりにも大きく、その雰囲気に飲み込まれてしまったため、今回も一抹の不安を感じていた。
整理番号が後ろの方だったため、いざ会場に行くとそこは観客ですし詰め、ステージが見えるかどうかギリギリのラインだった。身動きの取れない状態に困惑していると、やがて総合格闘技さながらのオープニングテーマ、overtureがフロアに鳴り響いた。
間髪入れずに一曲目が流れ、彼女たちのパフォーマンスが始まる。刺激的で中毒性の高いメロディに乗せて、アクロバティックに踊る5人の少女。気がつけば心を鷲掴みにされ、買ったばかりのペンライトを振っていた。ライブ至上主義を謳っていたももクロの真髄を、まざまざと見せつけられたのである。
晴れて現場デビューをした私は、以来チャンスを見計らってはライブに赴いた。オフ会では昔からのファン、通称古参に混じって知ったような口を利きながら、光量の強いペンライトの作り方を教えてもらったり、自作のノベルティを恵んでもらっていた。
そんな最中、私は2012年6月に東京から大阪へ転勤することになった。大阪に来てからも、しばらくは一人でライブに通っていたが、2013年2月、先述の友人を旅行がてら沖縄のライブに誘ってみた。最初渋々だった彼も、生の5人を目の当たりにし、瞬く間に虜となっていた。
AKB帝国のカウンター的存在として当時上り調子だった彼女たちのライブは、チケットの争奪戦が激化していた。当選するだけで歓喜に震え、息巻いて参戦したものである。
ももクロの5人、特に推しである有安杏果に出会ったことで、充実した推し活の日々を過ごしていた。推しが尊いと言う気持ちも、この頃に芽生えたのである。
2013年3月以降も、ホールツアーや西武ドーム、日産スタジアム公演など、大小あらゆる現場に通った。ステージ狭しと、アリーナ席からスタンド席まで、全方位を駆け回る彼女たちに、時の経つのを忘れて熱狂した。
すっかりモノノフとなった友人とは引き続き行動を共にし、ヲタクが集まるバーにも通ったりしていたが、彼は好奇心旺盛なばかりか、ほどなくして他のアイドル現場にも行くようになる。
天空から地上へと、現場の裾野をどんどん広げていく友人。リリイベ、握手会、撮影会など、ももクロでは最早体験できなかった世界を、彼は密かに楽しんでいた。
かくいう私も、当時ももクロの妹分だった私立恵比寿中学やチームしゃちほこ、サマーソニックで初めてその存在を知ったBABYMETALなどが出演するイベントやライブにも通っていたが、比較的規模の小さい現場とは一定の距離を置いていた。
しかし、2014年に入ると、3月に行われたももクロの国立競技場ライブの前後で、チームしゃちほこの握手会や撮影会に参加することになる。そこで私は、アイドルとの接触という文化を初めて体験した。
推しからファンとして認知されるという現実。一方通行の関係性では味わえなかった、禁断の果実に手を伸ばしてしまったのである。
そんな地上という名の深淵に片足を突っ込んだ状態で、TPDに出会うことになる。
(続く)