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私の推し活 EP4:成熟期

※当時の文化・慣習に触れる上で、一部誇張した表現を含んでおりますことをご容赦願います。

2016年8月に推しの生誕祭が終わって以降、私の推し活は更にTPDへと傾倒してゆく。

時には初心を取り戻すべく、ももクロや有安杏果のライブを見に行くこともあったが、他の現場を行き来する余裕はなくなりつつあった。後戻りはできなかったが、それでも構わぬと、歩みを止めなかった。

2016年の秋からは、1stアルバムのリリースイベントや東名阪のツアー、そして3月には中野サンプラザ公演など、TPDのイベントが目白押しだった。個人活動もめざましく、9月に行われた神戸コレクションでは、元々モデル志望だった上西星来が、初めてランウェイを歩く姿をこの目に焼きつけた。

11月の名古屋ツアーでは、引きの強い仲間が一桁番号のチケットを入手し、いわゆる最前エリアで観戦する権利を獲得した。

魑魅魍魎が跋扈すると言われるこの治外法権の巣窟に、正面突破で入ることを許された我々仲間は、ここぞとばかりにMIXをはじめとしたコールを連発し、推しのパートで跳ねまくった。

MIXや推しジャンはドルヲタ文化の象徴であるが、こうした類の過激なヲタ芸に関して、TPDのライブではご法度という不文律が流れていた。

地上から地下まで一通り経験した私は、ヲタクたちが生み出す狂騒的なムーブメントに取り憑かれていた。TPD現場に通い慣れると、オリジナルのコールを入れて遊びだし、終いには両手を地面に叩きつけるという荒唐無稽な技を編み出すようになった。

反乱分子的な私の行動に対して、ある時「変なコールは調子がズレる」とメンバーが苦言を呈してきたこともあり、弁解の余地がなかった。

その他、特典会で無理を言ったり、ハメを外したことも含めて、関係各位にご迷惑をおかけしたことについては、この場を借りてお詫び申し上げたい。

2017年3月の中野サンプラザのライブ以降、TPDはイメージチェンジを図りつつも活動を続けていく。

6月に行われた熊本でのNHKの番組収録では、パステルカラーに髪を染めた一部のメンバーがサプライズ的にお披露目され、ヲタクたちをザワつかせた。

10月には大雨が直撃する中、長崎・稲佐山公園の対バンイベントに参加した。寒さに凍え、びしょ濡れになりながらも、一心不乱に芝生エリアを駆け回った。

このように限られた人たちしか来ないイベントは、稀有な経験もでき、付加価値が高い。依然として大阪暮らしだった私は、遠征ヲタクという逆境をバネに、北から南まであらゆる現場にその価値を求め、武勇伝が如く自らの胸に刻んでいった。

そんな失うものなど何もない状態で推し活に邁進している中、2018年4月のライブで3人のメンバーが卒業することになる。卒メンが推しだったヲタクたちのことを思うとやるせなく、ライブの終盤には涙腺が崩壊していた。出会いがあれば別れもあることを、改めて認識させられた。

2018年6月、私は満を辞して東京への転勤が決まり、念願の地元へ帰ってくることとなる。足掛け6年、地方民という重い鎖はやっとのことで外された。肉体的、精神的な負担からも解放され、余裕を持ってヲタ活に励むことができた。

TPDが6人となってからは、舞台など個人活動が展開される一方で、グループ活動も精力的に行われた。2018年から2019年にかけて参加した主な地方イベントを列挙すると、音楽フェスの出演やメンバー単独のファンミーティングイベントなど、当時のチャレンジングな姿勢がうかがえる。

2018年4月 奈良ミナーラアイドルフェス
2018年7月 加賀温泉郷フェス
2018年10月 長岡米百俵フェス
2018年12月 別府クリスマスファンタジア
2018年12月 NAGASHIMA COUNTDOWN &
       NEW YEAR'S PARTY 2019
2019年4月 別府八湯温泉まつり(脇あかり)
2019年9月 別府バスツアー(脇あかり)

職場が変わり、人間関係が上手く構築できず、落ち込むことばかりであったが、彼女たちに会うことで、生きる気力を取り戻していた。

そんな東京暮らしも1年半が経ち、2020年を迎えた。2月までは上西星来の舞台を中心に現場に通っていたのだが、やがて世界がコロナウイルスの脅威に覆われ、エンターテイメント業界も不穏な状況に陥いることになる。

4月に入ると、国内では緊急事態宣言が発出され、ヲタクもアイドルも自粛生活を強いられることとなった。

(続く)