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私の推し活 EP2:過渡期

※当時の文化・慣習に触れる上で、一部誇張した表現を含んでおりますことをご容赦願います。

2014年5月24日、あべのキューズモール。TPDのリリースイベントは、スタイリッシュなovertureとともに幕を開けた。

ノンストップで繰り広げられた約30分間のライブは、強度が高く、かつ心地良かった。そのコンセプトは、90年初頭に活躍した先代のグループから継承しており、往年の小室サウンドを中心としたダンスナンバーは、世代的にも耳馴染みがあった。

バリエーション豊富な楽曲群に対して、まだ何色にも染まっていない彼女たちというコントラストは、とても魅力的に映った。その9人の中でも、特に上西星来という子に視線が止まる。

彼女は黒髪揃いのメンバーの中で唯一の茶髪だった。微かにギャルっぽさを漂わせつつも、その佇まいは清楚で凛々しく見えた。「こんな綺麗な子が何故…」と、場違い感は否めなかった。

いざ握手会に行ってみると、クールな見た目とは裏腹に、気さくな感じで話しかけてくれた。美人に免疫のなかった私は、ものの見事に心を奪われ、いつの間にやら2shotを撮っていた。

他のメンバーも総じて快活な印象を持ち、パフォーマンスに真摯に取り組む姿を見て、問答無用でこのグループを推そうと心に決めたのである。

この日初めて行ったリリイベの最中、告知のコーナーがあった。聞けば、大阪の劇場でお芝居とライブを融合した舞台をやると言うではないか。それを知るや否や、スマホの上の指がチケット購入画面を叩いていた。

アイドルに真剣な手紙を書いたのは、この舞台のタイミングが初めてだった。毎日のように推しのことを考え、何とも言い表せない彼女の魅力に取り憑かれていた。

この舞台を見た2014年7月以降は、彼女たちが出演するアイドルフェスを始めとして、ライブツアーやクローズドイベントなど、気の向くままに現場を追いかけた。その頃は無し崩し的に他のアイドルにもハマり、TPDを主軸としたドルヲタ生活を謳歌していた。

本格的に通った2ndシングルのリリイベでは、最終日の握手会でメンバーと話すうちに感情移入がピークに達し、人目も憚らず泣いてしまった。彼女たちが舞台の根城としていた渋谷の常設小屋・シブゲキにも、このリリイベで初めて足を踏み入れた。

年が開けた2015年1月には、対バンライブのために期限間際のパスポートを握りしめ、弾丸ツアーさながら台湾へと向かった。ライブ当日は自作のTシャツに着替え、声が枯れるまでコールを叫んだ。一般人だった頃には想像もつかない、情緒とバイタリティである。

そんな以前よりも密度の濃い日々を送っていたが、在阪であるが故に、遠征にかかる交通費が大きな足枷となった。

当初は新幹線が常套手段であったが、他のグループと比べてCDに付く特典券の単価が高かったことも相まって、凡百なサラリーマンのプライマリーバランスはやがて崩壊した。

背に腹は代えられず、私は夜行バスを使うことを選んだ。なお、実家が東京にあったため、関東遠征の際は宿代の面で随分と助けられていた。

車内での長時間に及ぶ拘束は窮屈であったが、推しに会えるその一心で耐え抜き、やがて当たり前のように行き来するようになった。大袈裟ではなく、推しへの愛は肉体的限界を凌駕するのである。

しかしながら、好きという気持ちは常に厄介を孕んでいる。接触とは是即、諸刃の剣。推しの何気ない一言や態度に癒されもするが、傷つきもする。無論、一方的に。眼前のアイドルは、近いようで遠い存在なのである。距離感を決して見誤ってはならない。

ドルヲタは確固たる矜持を保っていないと、いとも容易く押し潰されてしまう。徳を積むかのごとくCDやグッズを買い、財布との睨めっこに神経をすり減らす。推しに会うことを至上命題とし、仕事やプライベートを蔑ろにする。繊細な人間には滅法向かない趣味である。

不屈の精神で大阪から遠征していたものの、さすがに平日の現場は調整が難しかった。何度地団駄を踏み、東京のヲタクに嫉妬したことだろう。

そして何より厄介だったのが、推しが同じのヲタク、いわゆる推し被りとの対峙することであった。

ももクロ一筋だった頃にも、確かに推し被りへの複雑な心情はあったが、現場でヲタクと仲良くなることは皆無に等しく、推しに認知もされない状況の中、さしたる支障はなかった。

一方、地上の現場ではこの問題を避けるわけにはいかなかったのである。

(続く)