明日のたりないふたり
深夜ラジオを聴くことが好きだ。
元々父親の車ではニッポン放送がかかっていて、野球中継から懐メロのかかる音楽番組、お昼の平和な空気感あふれるトーク番組などラジオとは近い距離で育てられたと思う。
中学のとき、ラジオコンポを買ってもらった。それからは親とは一緒に聴かない。というよりも聴けない深夜の番組の楽しさを知り始める。
かつてニッポン放送では、夜10時台に「ヤンピース」という番組があった。そこで曜日限定パーソナリティだったのが南海キャンディーズの山里亮太という芸人だった。元々は東貴博さんが帯でパーソナリティをしていて、そちらをメインに聴いていた。正直、山里さんの方は「福神漬け」的な感覚で捉えていた。
また時を同じくしてオードリーがオールナイトニッポンを始める。初回からDVDの収録が入るという破格のデビューだったことを鮮明に覚えている。何故かオードリーのふたりには自然と親近感をおぼえずにはいられない不思議な雰囲気があった。
その後、私自身も生活の変化などもありしばらく深夜ラジオから離れていた。ヤンピースはその間に番組終了、オードリーのオールナイトもほぼ聴くことがなくなっていた。
私生活に落ち着きが出てきたころ、深夜ラジオは自然に私の生活に戻ってきた。ちょうどradikoというアプリがリリースされ始めたころ、山里さんが今度はTBSラジオのJUNKにて「不毛な議論」をやっていることを知る。気づいたら毎週欠かさず聴くようになっていた。
オードリーのオールナイトも少し遅れるように再び聴き始めていた。こちらは正直きっかけは覚えていない。本当に自然に生活のなかに戻ってきていた。
時を同じくして、エッセイ本ブームが個人的に舞い起こる。運命のように若林さんがエッセイ本を出し始めた頃だった。エッセイを読んでいくうちに、なんでオードリーのラジオにこれほどにまで親近感が湧くのかわかる気がしてきた。
自分でいうのもあれだが、私は生きるのが上手ではない。そもそも人生経験が人よりも一歩も二歩も遅れていることが多かった。まさに「社会人大学」の学生だった。
若林さんの不器用ながらにもがいて大人として、人としての生き方を模索する姿勢に勇気をもらい、励みにもなった。
これほど若林さんの話のボリュームが多くなると、自分のなかの山里さんから嫉妬の声が届きそうになるが、不毛な議論はある日から自分の生きる糧といってもいいほど毎週元気をもらっていた。私生活でどんなにしんどくても、水曜の2時間だけはくだらないことで笑える。そして、全国のリスナーやハガキ職人の皆さんと一帯になれる雰囲気が番組にはあった。
そんな山里さんと若林さんのふたりが、「たりないふたり」というユニットを組んでいるということを知ることになる。正直、ラジオから離れていた時期に結成〜ライブがあったので、ユニットの存在をしったのはかなりあとになってからだった。
しかし、ふたりのつくる漫才やトークからは共感と嫉妬、すこしの呆れ、そしてなによりも笑いが溢れていた。やはりこのふたりは人として好きなんだなと改めて思えた。
そんな「たりないふたり」がこのたび解散を発表し、先日ラストライブが行われた。なんと2時間の即興漫才である。
リアルタイムでは視聴することができなかったが、アーカイブでしっかりと観させてもらった。漫才の形はとりながらも、ふたりの芸人人生の生き様をまざまざと魅せてもらえた。あれほどの長尺の漫才をだれることなく、しかも感動までさせられるのは本当に技術がないとできないことだと思う。
本当に出演している全員がカッコいい配信ライブだった。
涙を流しきったあとには、胸のあたりがほんわり温かくなり「俺も頑張ろ」という言葉が頭に浮かんだ。
きっとこれからも山里亮太と若林正恭という人間2人を自分は追いかけ続けるのだと思う。そして、ふたりを感じながら自分なりに不器用に生きていくのだろう。
決して完璧ではないかもしれないが、ふたりは確実に自分にとってのヒーローだ。