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あいみょんと富士山

夏の暑さ対策を理由に毎日ビールを飲み続けている仕事終わり。私の人生の楽しみはなんなのだろうか、とふと思うことがある。

いや、私はビールを飲むことが生きがいになっているアラフォー、たまに配達先ではお兄さんと呼ばれてその気になっている痛々しいおじさんであるが
連日、夏の醍醐味である麦酒に溺れている私にも趣味という楽しみがある。

タイトルに挙げられた
あいみょんと、キャンプ。

(富士山は?)

どちらも憧れである。

昨年、阪神甲子園球場にて、単独弾き語りライブを行ったあいみょんを私は秋の寒空の中、
昼間の暑さのまま薄着で臨み 少し身体が寒さで強ばっていたのを昨日のように覚えている。もちろん、あいみょんのアコースティックギター1本による弾き語りの迫力は記憶に新しい。4万人以上の観客を前に堂々と演奏する天才の佇まいを息を殺して見守ったあの瞬間は2度と訪れることのない1日だ。

あいみょんを初めて生演奏で見たのは
2018年「バズリズムLIVE2018」
「生きていたいんだよな」を筆頭に気になるサウンド、歌詞 にどこにでもいそうな女性ではあるがどこか寂しげな表情なジャケ写に
私は気になって仕方がなかった。
どうしても観に行きたくて無理やり日程に合うコンサートを探したら テレビ番組のライブチケットに行き着いた。なんとか手に入れて
金曜の夜、仕事を終えたまま愛知から夜を呈して高速を走らせ神奈川へ向かった。

憧れとはすごいもので思いついた瞬間からその時まであっという間の出来事である。

初めて生演奏を聴いた歌は「憧れてきたんだ」

横浜アリーナのステージを観客を背中にして
ガリガリのギターサウンドから一気に歌を唄いかけるあいみょん。
その始まりに私は一気に心を奪われた。

一目惚れに近い、そんなインパクトがあった。

今まで憧れを抱いたその時から実際に出会うまで
どんなに期待はずれが多かったろう。

40年生きてきて、いろいろなスポーツ観戦、ライブイベント、コンパなどの飲み会(笑)こんなもんだよなって
思うことは多様にあった。

なのに2018年の私は裏切られた。
良い意味で心に楔をうたれた、
こんなに期待を凌駕することは今までなかった。心を奪われた。
こんなことは初めてである。

話は変わるが
私は2年前からキャンプを始めた。
キャンプブームに乗っかった形ではあるが
テントを買い、シュラフを買い、タープやコットも揃えて調理器具やポータブル冷蔵庫まで揃えた。
キャンプは気ままに
自分のしたいがままにお酒を飲み、好きな食べ物を作り、取りそろえたギアをこれ見よがしに使ったりしてきた自己満足を日常のストレスから解放するかのように貪り続けてきた。
いや、ここまで書くとキャンプを好きなのか、どうか問われるところではあるが焚き火などの行為は私にとっては癒しの要素がとても強くある。
そんな中でキャンプをするに辺り
色んな場所やシチュエーションに価値を見いだすようになった。
それらの詳細は省くが 富士山が見える場所でのキャンプに強い憧れがあった。

このnoteを書いているこの日、まさにその憧れが実現したのだ。

憧れていた存在を目の当たりにしたその時。圧倒された。今まで新幹線からみる富士山しか知らなかった自分は
目と鼻の先にある富士山の尊大な佇まいに
言葉を失った。

憧れをもっていて期待以上の気持ちを感じたのはあいみょんのそれと同じである。
それを確信したのは
私はあいみょんの
阪神甲子園球場の単独弾き語りライブで
1曲目にあいみょんが披露した
「憧れてきたんだ」

「憧れてきたんだ」に対するあいみょんの思い入れが相まって
私は2018年の横浜アリーナのライブを思い起こさずにはいられなかった。

あいみょんが、憧れてきた先人達に対して持っていた気持ちが私にも宿った気がした。

富士山に対する信仰など全くもっていない私にも先人達の気持ちが乗り移った気がしたのである。ましてや富士登頂すらしたこともないし、登りたくもないのに、である。

しかし、富士山に対するなにかが私にも宿ったのである。

富士山に憧れる人たちは何をもって登るのか。
遠くから眺めるのか現場に行くのか、
私にはまだわからないことが沢山ある。
富士を登頂したその頃にまた
新たな感動が待っているのかもしれない。そんな楽しみを持ちながらまた
日々を過ごしていきたい


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