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3ヶ月休み日記-5/21(木)-天野ゲーム博物館へ

3ヶ月休みの中で、個人的にハイライトなイベントが、これ。
天野ゲーム博物館で思う存分アーケードゲームをする」

…の前に、自分のゲーム史など。

■小学校(黎明期・ボーイ・ミーツ・ゲーム)
・低学年
:近所の女の子の家で初めて「ブロック崩し」のゲームを触る
・中学年:名古屋のバッティングセンターで初めて「魔界村」を見て興奮する。我が家にもファミコン到来
・高学年:豊橋のイトーヨーカドーで再度「魔界村」を見てコイン入れてないデモ画面で、レバーガチャガチャやって満足する。ファミコンを親に2階の窓から庭へ放り投げられる(見事粉砕)
■中学校(沼への第一歩)
・2年の時だったか。クラスメイト(初恋)に豊橋駅前のゲーセン「キャロット」に連れて行かれ、大興奮。20円だったか50円だったかの筐体が壁際に並んでいて、ローリングサンダー、チェルノブに大ハマリ。チェルノブの「後ろに戻れない仕様」に納得がいかない。
■高校生(80年代・ひとりゲーセン期)
豊橋ジャスコ(もう無い)、西武屋上、瓦町バッティングセンターアーチ、駅前キャロット、を根城にしてアーケードゲームをしまくる。夏休みの補習授業も無視して通ったりする。成績、ガタ落ち(笑)
■大学生(90年代・百花繚乱期)
学校そばの「桃太郎」、ハイテクセガ、いりなかの「キャノン最前線」、マンションの2階にあった、名前忘れたゲーセン。名古屋本山の「ピエロ」に「タイトー」。伏見のユーテクプラザ。豊橋開発ビル2階(名前忘れた)などなどとにかく沢山行きつけがあった。名駅の「トンガ王国」もしかり。一番ゲーセンに狂ってた時代。ゲーセンノートデビューしたり、ナムコの無料誌「NG」、ゲーメストに狂いもこの辺り。「スーパーリアル麻雀P3」から麻雀ゲームに大ハマリし、役を必死に覚える。香澄の天和の洗礼、ご多分に漏れず受けて放心。
■社会人(90年代後半〜2000年代・寂寥/離脱期)
ゲーセンがかつての「不良のたまり場」でなく一般人も楽しむ場所へと変わり、格闘ゲーム、シューティングゲームがどんどん複雑化して、初心者の入るスキが無くなる。プリクラ、UFOキャッチャー等の大型筐体ものが流行る。家庭用ゲーム機がアーケードゲームと同等の表現が段々と可能になる。
自分はと言うと、テーブル筐体のゲームで、かつ弾幕で無いシューティング、1画面固定のアクションゲームの好きなので、やれるものが徐々に減り、そういったゲーセンを渡り歩くも、小さなゲーセンは徐々に街から姿を消していく。寂しさもあるが足を運ぶ回数が減る。よく通ったのは、栄の「サーカスサーカス」。

軽く書くはずが長文になってしまった(更にそれぞれの時期でハマったゲームを書き始めたら、大変なことになりそうだったのでヤメた)が。うん、自分でも、改めてまとめて良かったような気がする。懐かしい場所を思い出せた。

青春時代をアーケードゲームと共に歩んだおかげで、90年代辺りのゲームは血となり肉となっているのか、今でもとても好き。
もちろん家庭用ゲーム機のアーカイブでプレイ出来るんだけど、ゲーセンのあの筐体でプレイするから楽しいんだよね、と多分こじらせているんだろう(笑)

東京のミカドなど、一度行ってみたいんだけどやはり遠い。東海圏はもう無理なのか、と日々静かな悲しみに浸っていたところ、西尾市に「ゲーム博物館」があるということを知り、数年前、週末に一度同居人と電車で行ったのだけど、時間が無くて思いを残してきてしまい。今回の休みに「ひとりで」「何時間でも思う存分」プレイ出来るじゃないか、とようやくバイクで訪れたのでした。

名古屋を出発して下道で2時間弱。
コロナかつ平日だからか、19号の南下はとても快適。
周りの風景を楽しみながら、途中1階給油してさぁ到着!

そう。「5月15日より営業です」。コロナで休業してたんですよね。正直無くなってしまうのかと心配だったのだけど、営業再開してくださってありがとう。ホントに嬉しい。なんだか玄関口だけで感慨深くなってしまったのだけど、本来の目的はそこじゃない!いざ入店。

変わらない!
が、ところどころ画面が消えているのを(故障かな?)と眺めながら歩いていたら、「やりたいゲームあったら、スイッチあるから入れてね。そのままにしとけばいいから」と、お声が。そういうシステム!わぁい!「分かりました。ありがとう〜」
言って、ひととおり店内を眺める。入り口にボルフィード。懐かしい。

格闘ゲームがいくつか。奥へ行くとガンフロンティア、グラディウスⅢ、マジンガーZ、ほうほう。パロディウスに…あった、スーパーマル禁版。マクロス、サボテンブラザーズ(あった気がする)、更に奥にはダライアス(3画面)。おぉ、凄い。

が、最初にプレイしたのは…「子連れ狼」
なんだこれ、初めて見た。ニチブツ!マニアック!
(※著作権を考慮して、スクショは無しです)

…濃いなぁ。
プレイ動画を撮る余裕が無かったのだけど、やってみるとうん当時っぽい。とにかく難しい。当たり判定でかい。死ぬ。あぁ…楽しい。

「進め、ポリスターズ!」だったかな。発売当時は置いているゲーセンがとにかく少なくてやった試しがなかったので、プレイ。難しい。これは当時だからじゃなくて、単に自分の腕がなまりになまったせい。断念。

「逆鱗弾」は、シューティングと言えば東亜プランが無くなってしまい、その開発メンバーがタイトーへ移籍して作ったもの、だったかしらん。当時流行りの縦スクロール・1面クリア毎に、キャラクター漫才の幕間漫才が入るタイプ。そのストーリーやキャラクターはオーソドックスすぎて特徴に欠けるんだけど、ゲームのシンプルさとBGMが兎に角熱くて。
…これまた腕が鈍りまくって、1面で死ぬ死ぬ。最終面までいけたのに!
悔しいのでコイン山積みにしてクリアしました。大人げない。いやさ、大人だから出来ることさ(断言)。

スーパーマル禁版…多分色んな人が言ってるだろうけど、この当時の麻雀ゲームの、ドット絵による当時の芸能人の再現度が半端なくて、これって後世に伝えるべき文化なんじゃないかしら、と思いながら渡辺ま○○、など撃破したりするが、麻雀ゲームって個人的に面クリアも目的だけど、その背徳感な雰囲気が楽しいので、負けてはコイン、負けてはコインを繰り返す。
ところで、筐体の「NHK全国放送記念」ってなんだろう?スーパーマル禁版が?まさかね。

ところで、やはり悔しいのでその対面にある「スーパーリアル麻雀P4」の愛菜をコテンパンにのして、満足。よかった。

そうこうしてるうちに暗くなり始めたので、やはり後ろ髪を引かれながら退店。やっぱりまた来なくては。

途中「からあげ」の文字に惹かれて「からやま」で軟骨の唐揚げなどを買って帰宅。うーん、油が…(・А・;)まぁこんなもんかもしれない。

アーケードゲームが今後、90年代のような「何でもありな、カオスでエネルギーに満ち溢れた時代」には、もう決してならないのは事実なんだろうけど、今は寂しさは感じない。あの当時、ゲームの成長期にリアルに触れていたその事を、たまに思い出せたらそれでいいんじゃないかな、と思う。

ただ。これはエゴでしかないんだけど、そのたまの懐かしさを振り返る場所として「天野ゲーム博物館」や、全国に残る、主に90年代全盛期だったゲームを保存している施設が残ってくれることを祈っております。

というか、祈らず行け、通え!って話ですな。
はい、どんどん行きますよ〜。

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