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3ヶ月休み日記-5/3(日)-三回忌
AM6:30起床。
三回忌の当日。去年の秋から、みんなが集まりやすいのはゴールデンウィークだよねぇ、と調整していたんだけど、土壇場でのコロナ禍。おそるおそるお寺に様子を伺うと住職「その予定ですよ」とのこと。「本堂は広いし扉は開けっ放しにしておくし、皆さん広がってお座りになっていただけたら大丈夫じゃないかと」
だよねぇ。東京ではないし。
AM8:08名古屋発のこだまで豊橋へ。
車中で妹から迎えに行くと連絡。お供え用の果物を買ってないことが分かって、豊橋着いたらどっか探そうと話す。8:36着。
豊橋駅コンコース、がらーん(ヘッダー画像)。
AM8:45。
駅のロータリーで妹の車に乗って果物会議。
いつも使う「山安」がなんと定休日で大ショック。なのだが、打ちひしがれる時間は無いのでインターネットで調べまくってみると、駅から近い「岡青果店」が朝9時にオープンしているそうだ。空いてて良かった。
コロナ騒ぎで青果店はどんな塩梅なのか?と思ったら、ちょうど時期的に母の日なんだけども、身体を気遣って果物…特にメロンがバカ売れしているらしい。お店の方の「3回忌ならちゃんとやらないと」の押しに負けて、1万円の盛り籠を作ってもらって実家へ。
手作りしたという焙じ茶プリンをたべて、コーヒー飲んだらあっという間に時間。
AM10:50。お寺着。
住職に挨拶して段取りを伺う。お布施も先にお渡し。
その間に姉たちがお墓の花を取り替えてくれてたので(さすが。後でいいと思ってた)、本堂に呼び戻して3回忌法要開始。
前日まで天気が心配だったけれど、しっかり晴れた5月の空と、お寺の本堂の凛とした空気が気持ちいい。お経を上げてもらって一人ずつ焼香。出席者は姉家族、妹家族、もひとり妹、弟と身内だけなのでここまででも30分かかったかどうか。このこじんまり感が緊張も無いゆるい穏やかな空気感で、とても良かった。その後、お墓へ場所を移して再度お経をあげておひらき。途中、姉の子供がひとりお手洗いから帰ってこなくてお線香上げるのに間に合わ無かったのが、なんだかその子らしくて微笑ましい(後でちゃんと上げたそうな)。
妹の1人と弟は、そのまま帰るという。
香典のお返しを渡して、元気でやりなよ、などと挨拶してお見送り。何か、ちょっとウルっとくる。
こんな風に姉弟で話が出来るようになったのは、母の入院がきっかけで。事務的な話、連絡事項。そんな中で姉弟それぞれの考え方がチラチラわかるようになり。合う回数自体は多くなかったのだけど、母の亡くなった年、豊橋から名古屋へ戻る日が近づいたとある日の、弟からの「元気でやりんよ」
という言葉がいまだに忘れられない。
母がもう一度姉弟で喋れるようにしてくれたのかな、と思うと本当に母への感謝しかない。お母さん、ありがとう。
PM12:00。本来ならお店でご飯。
なのだけど、こんなコロナなご時世なので、お店での会食は無くなり。
お寺の駐車場で「どうしようかね」とテイクアウトできそうなお店を探していたところ、妹が近所の中華料理屋さんを思い出す。
餃子、チャーハン、野菜炒め、鳥の唐揚げを大量に注文。一旦自宅へ戻って着替えたらお店へ受け取りに。客間に甥っ子の机を引っ張り出して並べまくって「いただきまーす」。
う、うまい!三回忌の会食、これはこれで、アリじゃないかなぁ。堅苦しくなくて(笑)
姉の持ってきたチーズスフレプリンを食べた後、少しして姉たちは名古屋へ。
「どうして集合写真を撮らなかったのか」
後になって気付いた。多分、3回忌終わってみんなほっとしたんだろうなぁ。それはそれで、いいよね。
PM3:00。
名古屋へ戻るために、豊橋駅へ送ってもらう。が、やっぱりもう少し豊橋の空気に浸っていたくて駅前を歩こうかな、と、コインロッカーへ荷物を入れ…閉鎖されてる!
仕方ないので荷物持ったまま、駅前から元西武・現ココラフロントの中を突っ切って駅前交差点→明豊ビル跡→閉店したばかりの丸栄跡→郵便局前交差点→広小路通端っこまで行ったところで、休憩出来るお店も何もないことがハッキリした。んー、仕方ないね。ブラブラ駅まで歩く。なかなかに人がいない。
こうして歩くと、やっぱり豊橋好きだわ。思う。落ち着く。
母を始め、自分の子供時代からの、家族の思い出がそこここにふわっと漂う中を歩いているからかな、というのも理由だと思う。
17:08新幹線。名古屋へ。
こっちも人いない。貸し切り状態。コロナがあったので新幹線混んでたらやだなぁ(自由席だし)と不安だったので、心理的にとても安心。
名古屋到着後、ビックカメラにPS4ソフトの「十三機兵防衛圏」を見に行ったら店頭ではまだ高い。そこでAmazonで調べると、なんと千円安い。ポチる。ついでに甥っ子がやってたサイコブレイク2が面白そうだったので調べると、めちゃ安かったので、こちらもポチる。
そのままスーツをクリーニングに出して、帰宅。
片付けをしてたら、これでひと段落だなぁ…。ふと、住職の挨拶を思い出した。
「三回忌、亡くなられてから2年が立ったことになりますが、人によって2年の長さは違うことでしょう。長かった人もいればお仕事など忙しくてあっという間だった人もいらっしゃるかもしれませんね」
本当にそう思う。
自分はと言うと、2年は短かった。あっという間だった。ただ、こんなまたたく間の2年は、正直嫌だった。
いまだに慣れない仕事を、どうやったら上手くいくのか、好きになれるのか、そんなことばかりずうっと考えていた2年だった。それしか考えられなかった。けれど、本当は、母についてゆっくり考える時間が欲しかった。
やっぱり、まだ自分の中で「どうして死んでしまったのか」についてケリがついていない。納得していない。そのまま2年経ってしまった。もちろん、考えたからといってどうにかなるわけではないんだろうけれど。この2年、ずっと豊橋で母と暮らした日々を思い出しては後悔、の毎日だった。この先も、後悔が無くなることは無く、一生向き合っていかないといけないんだろう。
晩ご飯のあと妙に疲れがどおっと出て、酷く眠くなったので、寝ることに。