3ヶ月休み日記-5/18(月)-ちゅんこ騒動
同居人が、保護雀のちゅんこが心配で出勤しない、と言う。
「ご飯は食べるんだけど、口をパカパカしてるから」
確かに、昨日あたりからそうなんだよね。
月曜日。
出勤しないのは構わないんだけど、それにより予定が消えることが若干腹立たしくて、それが態度に出てしまっているが仕方ない。止められん。
「夕方病院連れてく」
よっぽど心配なのは分かるが、高齢かつ極度の臆病者の雀には、ストレスになるんじゃないか?余計寿命縮んだらどうすんの?と聞くと、「行く」としか言わない。「じゃあ、ひとまず口パクパクさせているのを動画に撮って、それを見せたらいいんじゃないの?」
言うと、何か不服そうにそれでも動画を撮ったらしい。
夕方近くにシャワー浴びて髪をセットしていると「やっぱり(病院)いかない」と言うのでキレた。なんなんだ、と。心配だから連れて行きたいんじゃないのか。「ちゅんこが可哀想」言うので「だから動画を見せて意見聞いたらいいし、できることをやればいいじゃん」
言うと「ちゅんこの事考えると、どうしていいのか分からなくなる」
あぁ…まぁ…アンタ優しすぎるから、そうなるのは分かる。けど、じっと見ているだけで治るわけないので、動画を送ってもらって、病院へはワシが行くことにした。
弱い雨の中(なんでこうなったんだ)イライラしながら歩いていると、ふと、母の介護の時の自分はどうだったのか、と思い出した。ケアマネージャーとのやりとり、スケジュール、難病認定の申請、介護グッズレンタルの申請、病院とのやりとり、日々血糖値を上げない為の献立、などなど。苦労自慢はするつもりはなくて、それらをきちんと漏れなくこなしていくには、冷静であるべきで、「どうしていいか分からなくなる」という状況は、正直無かった。というかそんな風に感じる余裕が無かったんだと思う。
その結果起こったことは「母への当たりがきつくなった」ことだと思う。
病気のせいもあって、感情的になることが多かった母に自分が合わせていたら、こちらも感情に流されてしまう。やらなくちゃいけない事が見えなくなる。それこそどうしていいか分からなくなってしまうんじゃないか。
だから、冷静でいよう。引いて物事が見えるようになろう。
そんな風に毎日考えていたら「母の気持ち」が見えなくなってしまってた。母が感情的になるのも、当然その「理由」があるわけで。冷静を意識しすぎたために、そこを無視してた。本当は、きちんと耳を傾けて話を聞いて、だからそう言うんだな、じゃあそれに対してどうしたらいいのか、を考えなくちゃいけなかったんだろうな。冷静であるはずが、逆に余裕、無くなってたな。
…ひとりになると、どうも後悔スイッチはいってしまうね(笑)
動物病院着。
入り口で手の消毒をして、カウンター前で院長先生に動画を見せると「気管支炎の関係だろうね」
とのこと。ふむふむ。それなら薬はある、そう伝えると、
「いつ出した薬だっけ?たしか、かなり前でしょう?」
「新しいのを作るから、ちょっと待っててね」
そう言って、奥へ入っていった。
静かなロビーには他にお客さんはいない。雨はまだ降理続けてる。
と、先生登場。新しい薬は白く濁ってた。
「1回1、2滴。1日3回。少なくとも1週間は続けてみて」
「もし酷いようなら○○(何か薬の名前)の吸入も出来るから、連れてきてね」
吸入、へー。嘴あるのにマスクとか、どうやるんだろ?
とりあえず、原因が分かって一安心。同居人へ報告。
ついでに買い物して帰宅。夜は残っていたトマトスープをベースにしてショートパスタと、にんにくサラダ。
サイコブレイク2をクリアして、寝る。