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「ちっちゃいときから、文章を書くことで生きていきたいって思ってた」【立花×タクロコマ1/5】
こんばんは、インターンのとしちるです。
2017年の1月、「灯台もと暮らし」を運営する株式会社Waseiのコーポレートサイトができました。コーポレートサイトには社員のインタビュー記事を掲載しているのですが、これは取材内容のほんの一部です。
サイトの公開から半年が過ぎ、もっとオープンにもとくらメンバーについて知ってもらおうということで、まずはじめに編集長・伊佐さんのインタビューを公開、次に代表鳥井さんと編集部くいしんさんのインタビューを公開しました。
そして、今日からは編集部の立花さんとタクロコマさんのインタビューを公開していきたいと思います。コーポレートサイトをつくる際、ページをつくるために別々に構成し直していたので、もともとはひとつのインタビューだったんです。
前回の「鳥井×くいしん編」に引き続き聞き手は、コーポレートサイトをつくってくださった株式会社Lucky Brothers & co.の下津曲 浩(しもつ)さんです。
立花が編集者になったきっかけ
しもつ まずおふたりに聞きたいのが、なぜ「MATCHA」にたどり着いたのか聞きたいなと。
※訪日外国人観光客向けのウェブマガジン。もとくら初期メンバーの4人(鳥井、伊佐、立花、タクロコマ)は『MATCHA』にて活動していたことをきっかけに出会い、後に『灯台もと暮らし』を立ち上げた
立花 大学4年生の春くらいに、ちょうどMATCHAを立ち上げますというツイートを見たんですね。大学3年生のときに休学してひとり旅をした経験があったので、「日本の魅力を海外に発信したい」という漠然とした気持ちはあって。編集者の経験とか一切なかったけど、「編集者をやりたいです」って問い合わせしたのが一番最初です。
しもつ ひとり旅をして、日本の魅力を発信したいと思うようになったんですか?
立花 うん。ありきたりな話ですけど、いろいろ聞かれると、自分が日本のことを全然知らないなって気づいて。私は、大学の専攻が日本文学だったんですけど、「何をしてるかちゃんと言えない」っていうことにものすごく情けないなぁと。で、何か日本について発信できる仕事はないかなと思っていました。
しもつ 大学生のときは、編集者になろうと思ってたんですか?
立花 いや、私、自分の仕事が“編集者”と呼ばれるものになるって思っていなかったんですよ。気づいたら編集者っていう名前の仕事になってました。
しもつ MATCHAでは、最初は肩書きみたいなのあったんですか。ライターみたいな。
立花 編集者でした。
しもつ 編集者だったんですね、最初から。
しもつ すごいっすね。役割として、ライティングじゃなくて、編集だったっていうのはおもしろいですよね。だって、今はたくさんの原稿を書かれているわけじゃないですか。なんでライターのチェックボックスにレ点を打たなかったのか、っていうのは気になりますね。
タクロコマ たしかに。
立花 それに関しては明確に理由があって。書くことはたしかに好きなんですけど、自分の言葉を書きたかったんですよ。たとえばインタビュー原稿だったら、インタビューしてる人の言葉を書くじゃないですか。だけど、MATCHAでは自分のことは書けないなと思って、でも日本について発信することにすごく興味があるから、じゃあ編集者と。
しもつ なるほど。
立花 要望通りに文章を書くっていうのは、たぶん私は苦手です。
しもつ 要望通りというのは、いわゆる商業ライター的なノリってことですよね。大学生のときは何になりたかったとかありましたか? もっとちっちゃいときでも。
立花 ちっちゃいときに、文章を書くことで生きていきたいっていうのはあって。ただその文章が、インタビュー原稿なのか、小説なのかっていうのはわからなかったんですよ。
しもつ それはいつからですか?
立花 本当にちっちゃいときですね。物心ついたときから。
しもつ なんでですか? 本をよく読んでたからとか。
立花 一番ちっちゃい頃の話をすると、たまごっちのキャラクターが出てくる本みたいなのを自分で書いたりしてました。その様子を親が見て、「もっとやれ」みたいに言ったんじゃないですか。
国語の教科書をどれだけ読むか?
くいしん それすごいいいエピソードですね。国語の教科書が配られたら先に全部読むタイプですか?
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